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アレなんだよなぁ〜!?

英・雄・伝・説 〜蘇る!松田優作〜

速報!「俺たちの勲章」'92年2月5日発売

(SPECIAL THANKS TO "Ms.ARASHI")


3回忌松田優作フォーエバー

 '89年11月6日午後6時45分、役者として人間として、果てしなき挑戦を続けたひとりの英雄(ヒーロー)が、40歳の若さで永遠の眠りについた! 3回忌を迎え、松田優作の死を悼み、ここに彼の"存在"を振り返る!!(文=山口猛)

 

"海外進出"の分水嶺となった松田優作の死!

 松田優作が亡くなってから丸2年、WOWOWで11月5日から4日間、彼の5本の代表作が"松田優作特集"として放送され、来春には主演TVドラマ「俺たちの勲章」「探偵物語」がビデオ化される。死してなお優作は輝きを増していのだ。

 彼の死後、優作との関わりを書いた単行本と写真集の製作を手伝い、彼と結びつきの強かった多くの人とも出会った。

 トライアーツの青木勝彦には映画の企画の芯を失ったことの大きさを言われ、今度マシュー・モディーン主演作品をプロデュースする山本又一朗からは、「ブラック・レイン」一作で、彼がクリント・イーストウッドの再来とアメリカ人に受け入れられたことを聞いた。そして現在ロンドンでアラン・リックマン主演作品を演出している蜷川幸雄からは、アランに対抗できる俳優は映画、演劇のジャンルを問わず松田優作しかいなかったと告げられた。

 かつて松田優作が泣く思いで丸山昇一の脚本を抱え、各映画会社、TV局を回り、頭を下げても作品化されなかったことが嘘のような状況である。日本映画界における国際化ということが資本の流出ばかりでなく、「ブラック・レイン」以降、頭脳の進出が本格的になった。となれば松田優作の死が映画状況の激変を象徴していたともいえるのではないだろうか。

 

優作の夢は世界を駆けた!

〜アクション俳優、松田優作は「探偵物語」に主演し役者の幅を広げた!〜

 松田優作は下積みの演劇青年として出発し"73年「狼の紋章」で映画デビューを果たしたが、大した話題にはならなかった。だが「太陽にほえろ!」のGパン刑事役はそれこそ鮮烈なデビューというにふさわしく、一気にスターの座に駆け上った。

 そして「俺たちの勲章」、「大都会II」、さらに映画「遊戯」シリーズと作品を重ねるにつれ、アクション俳優としての地位を築き上げていったのである。

 そこで松田優作が人々を引きつけたのは、それこそ"しなやかな獣"と呼ばれるべくして呼ばれた無駄のない肉体と、その弾ける筋肉の躍動感によってだった。

 185cmの長身からは、スケールの大きな演技を期待できたし、子供の頃から喧嘩ではほとんど負けたことがなく、実践で鍛え上げられたアクションと見事な銃のさばき方は、これまでの日本のアクション俳優とはかけ離れて見えたのである。

 だが、それ以上に松田優作は俳優として最も大きな資質、自分自身を俯瞰して(客観的に)見つめるまなざしというのを強烈に意識していた。

 彼は単なるアクション俳優だけに終わるつもりは毛頭なかった。とはいえ、アクション俳優としての松田優作の凄みは「ブラック・レイン」でも客観的にも明らかだが、あのときの演技は彼にとっては単に引出しの中の"演技のひとつ"に過ぎなかったはずである。

 それほど優れていながらも、彼は俳優としての幅を求めた。それは手始めとして、アクション俳優で思い浮かべられる単一のイメージ、こわもての二枚目という役どころを壊すことから始まった。

それが'79年のTVドラマ「探偵物語」だった。何しろアメリカ帰りとはいうものの、喧嘩はさほど強くなく、どこか間が抜けているドジな探偵という役だったのだ。事件は何とか一時間の枠の中で解決するのだが、それまでのアクション俳優というイメージからははるかに離れたものだった。

 ここで彼は多くの脚本家、監督と出会った。しかし今思うと演技的な冒険はもちろんだが、この作品のゲストとして登場したヒロイン熊谷美由紀と恋に落ち、それが以後の人生を変える大きなきっかけとなるなどとは、彼自身夢にも思わなかったに違いあるまい。

 

優作 熱き闘いの足跡

「狼の紋章」('73)記念すべき映画デビュー作。主人公の志垣太郎と敵対する不良番長役

「太陽にほえろ!」('73)Gパン刑事役でキレのいいアクションを披露、茶の間の人気者となる

「俺たちの勲章」('75)中村雅俊とコンビを組んだ刑事ドラマ。革のスーツがニヒル(バップ)

「暴力教室」('76)劇場映画初主演作。無軌道な生徒を指導する熱血教師役でバイオレンスに挑戦

「人間の証明」('77)森村誠一の同名ベストセラーを映画化。若手刑事役でNYロケも経験した

「最も危険な遊戯」('78)遊戯シリーズ第一弾。殺し屋、鳴海昌平役が大当たり、続編2作にも出演

「蘇える金狼」('79)平凡なサラリーマンを装いながら、巨大資本の乗っ取りを企む青年を演じた

「探偵物語」('79)コミカルな演技でハードなイメージを一新。しゃれた雰囲気のTVドラマ

「野獣死すべし」('80)大薮春彦の同名小説を遊戯シリーズの監督、村川透との名コンビで映画化

「ヨコハマBJブルース」('81)ブルースの好きな探偵BJ役。みずから原案を担当したハードボイルド・アクション

「陽炎座」('81)尊敬する監督、鈴木清順のもと、初めての文芸作品に挑戦。とまどいは大きかったがその後の"下地"となった

 

* 病魔に冒されながらも"世界"という巨大な目標へ向かって前進を続けた優作。 「ブラック・レイン」では、まさに死を背負っての怪演を見せた。

* '89年11月7日の葬儀では多くの人が彼の早過ぎる死を悼んだ。

* 松田優作は歌手としても非凡な才能を持っていた。マイクを前にブルースを歌う彼の表情は、その生涯と同じく喜びと苦しみが同居した、なんとも表現しがたい魅力を放っていた。

【"GET ALONG" を歌う優作】



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