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(SPECIAL THANKS TO "Mr.YOUNOSUKE")
【松田優作の死】
朝のテレビの画面を突然松田優作の死を告げる文字が横切った時、私は一瞬我れと我が眼を疑った。しかしそれは誤報などではなく、はじめのうち彼はガンを知らなかったのだと伝えられ、まもなく彼はそれを知りながら死を覚悟して出演を続けていたのだと訂正された。
暗然とした思いの中で、私は彼と酒席を共にした何度かの記憶を反すうしていた。一緒に酒を飲んだ、というふうにいわないのは、それが一緒に飲もうという意思あってのものではなかったからである。ひょうんなひょうしで気がついたら一緒に飲んでいたのである。
一度は上板東映という「がんばってくれた」映画館が終りになるというので、みんなが駆けつけた会のあとだった。酒の席ではいつも最後までねばっているという悪いくせのある私で、たしか若松孝二と長谷川和彦が一緒にいた。あるいは崔洋一だったかもしれない。本人たちはいいつもりだろうがまわりからすれば迷惑この上ない組み合わせである。
酒も強ければ声もでかい。私を除けばみんなおそろしく喧嘩が強い。そんなそばに誰もいたくないのが当然で一人去り二人去り結局御当人たちだけになる。その時朝まで横に座っていたのが松田優作である。ただし一言もしゃべらずに。
またある時、東京プリンスでの何かのパーティのあとである。ほかの人間もいたがともかく私の前に松田優作と佐藤慶がいた。慶さんは時として優作とおなじように無言で蒼白く眼を光らせているだけなのだが、また時として狂燥的になる。この日は狂燥的だった。しゃべりまくるのである。ひびき渡るでかい声で内容はことごとくダジャレでもないがはじめての人はおどろく。慶さんはどちらかといえば知的な役者だと思われているからである。しかし優作はおどろいた様子もなかった。もちろん一言もしゃべらなかったけれど。
「優作びっくりしたでしょうね。オレがあんまりバカいうんで。ヒッヒッヒッ」
結局私は松田優作と一言もことばを交わさなかったことになる。
「おい、なにかいえよ」
私は何度かそういいたい衝動にかられた。しかしそうさせない何かが彼にはあった。
三十九歳という若すぎる死を、彼が死んで私の中でああそうだったのかと納得するようなものがあった。彼はきっとそういう運命を感じていたのだ。だから黙りこくって、しかもつきあっていたのだ。
何度か私の映画に出てもらいたいと思ったこともあった。でも最後の段階で私がいつもためらったのは、私もまた彼の運命を予感していたからだろう。そんなに自分の運命をみつめないで、慶さんみたいにダジャレをいってくれたらどんなによかったろう。「そんなバカな」と優作はいうかもしれない。しかし慶さんだってはじめからダジャレをいってたわけではない。ある年をとってからなのだ。
年をとらないまま松田優作を死なせてしまった医者、まわりの人びとを私はうらむ。そしてそれよりも本人をうらむ。死を覚悟して仕事をすることをえらんだなんてとんでもないことだ。
だいいち仕事の途中で倒れたらどうするのだ。その「仕事」に与える損害ははかりしれない。アメリカのプロデューサーがなぜ健康診断を求めなかったのか不思議である。私などはいつも求められている。今ごろアメリカ人はそれが撮影途中でなかったことに胸をなでおろしているだろう。そしていってるかもしれない。
「やはり日本人はおそろしい。カミカゼだ。これから気をつけよう」
惜しみきれない松田優作の死。しかしそれを美談にまつりあげることはやめてもらいたい。