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アレなんだよなぁ〜!?

百恵ママ奮戦日記!?」

(1996.9.1〜1997.8.6)



[9/4(水)]

訳の分からない事を言い、ヘベレケに酔っ払っていた。
もう少し、抑えればと思うのだが若いからしょうがないか。
でも、2年前と比べて、気分で休むということは少なくなった。
人間として、少しは成長しているようだ!!


[9/7(土)]

MOMOEは少し遅刻してきた。まあ、いつものことか。
しかし、この後、僕自身が体調が悪く、帰宅してしまった。
MOMOEの「気をつけてね!」という言葉が耳に残る。
来週はMOMOEとごはんでも食べに行こう〜と@


[9/12(木)]

今日は予定通り、MOMOEとごはんを食べに行く。
MOMOEはいつもより、5分ほど早く来た。(たいていは20分は遅刻する。)
MOMOEは黒っぽい服が多いのだが今日は白いスーツだった。
白い服のMOMOEもかわいいよ!!(面と向かっては言えないが...。)
例によって行く先は会ってから決める。
焼鳥屋に決定だ!(焼鳥屋の確率は非常に高いのだ。)
今日はいつものように遅刻しないように8時に「つかさの家」に到着。
珍しく歌を歌い。タバタクは10時20分には帰途に着いたが...?
追伸:空手はちゃんと続けろよ!!!!


[9/20(金)]

8日ぶりに「つかさの家」に行った。
新しい女性が一人スタッフに加わった。釧路出身らしい...。
今日のMOMOEは顔色が悪い。何か体調が良くないみたいだ。
聞いてみると18、19日(水、木)と休んだということだ。
アイちゃんや常連のお客さんは「ずる休み」だと言っていたが顔色からそれはうそでないと思われた。
「お酒を飲むと吐きそう」になるという言葉が真実味を帯びていた。
同居の姉とはうまくいってないらしい。
MOMOEは本来、一人で生きてゆくべき人間なのだ。
自分の行動を自分で考え、実践して行かなければならない。
新しい事を始めるみたいだから「まず一歩を踏み出す」ところからやりなさい。
電報は後で貴方の助けになるはずだから...。
今は思うようにはばたいて、みるがいい。
それに対する意見はこれからもしていくつもりだ!


[10/9(水)]

なんと9/20から約3週間振りに「つかさの家」に訪れた。
MOMOEも小樽のおばあちゃんが亡くなったりして、大変だったとの事。
風邪を引いているみたいで顔色も冴えない様だ。
MOMOEは毎年、何回か風邪を引き、みんなに移して顰蹙を買っている。
丈夫そうな体の割には意外と体が弱いのだ。
少し話している内に顔色が少し良くなってきたので安心した。
女性スタッフも4-5人増えたようだ。
それぞれに個性は有るようだが仕事への取り組みの姿勢は甘いと言わざろうえないだろう。
今の若い奴はとことん一つの事に取り組んだ事がないから、知識が中途半端である。
それを友達が窘めることもない。仲良しクラブの域を出ないのである。
MOMOEも最初はそうだったがいい意味で負けず嫌いだったので俺の小言も喧嘩をしながらでも理解しようとした。
今はそういう人間は皆無に近い。
仲良しクラブは喧嘩なんて、「非労働的」事はしないのだ。
MOMOE、先月はおばあちゃんの事や体調の事があって、「仕事が疎かになっていた」と言っていたがそういう時もあるから今月は体に気を付けて頑張りなさい。


[10/11(金)]

今日はMOMOEから3時くらいに電話が入り、6時30分に自宅に迎えに行き、食事をする事になる。
例によって、食べるものは決めていない。
行きのタクシーの中で「しゃぶしゃぶ」と決定し、「しゃらら亭」に向かった。
だが、しゃらら亭は改装中で代わりに精力がつきそうな「にんにくや」という新装開店の店に入った。
そこは「深海魚」というパブスナックがあった場所である。
メニューは新装開店ということもあり、2種類しかなかった。
「イタリアン」「オリエンタル」である。MOMOEと相談し、「オリエンタル」に決めた。
大蒜と唐辛子が入った料理が7種類ほど運ばれた。
その間、店は少しずつ込んできて、出るときには盛況な状態になっていた。
料理の味自体はそれほど美味しい物ではなかった。
だが、二人して一本づつ唐辛子の辛い奴に当たり、お互いに笑いを誘った。
二人の一致した意見ではもう少しメニューが増えれば、なんとかなるのでは..ということだった。
店に行くときに口臭が気になり、五條食品でガムを買った。
そのガムを店の中でも噛んでいたMOMOEはマスターに怒られてしまった。
(ゴメン!)
店で一時間ほど、話していると久しぶりにあゆみちゃんとフッジーが現れた。
今、あゆみちゃんはモデルをやっているが札幌では仕事が少なく、東京に行くかもしれないと言っていた。
1時くらいまであゆみちゃんと話して、店を後にする。
MOMOが最後に「お客さんに臭うって言われた。」と笑いながら話した。
(今度は迷惑をかけない物を喰いに行こう!)
大蒜で体が暖まって、風邪を早く直せよ!!


[10/22(火)]

MOMOEはいつもの通り、遅れてきた。いつもは6時45分位に来るのだが今日は7時過ぎていた。
「ロビンソン6時30分」これが食事の合い言葉である。
もう、MOMOEが遅れてくるのにも慣れてしまった。
最初は「この女、なんなんだ。」と思ったが待つ時に人間ウォッチングをすることによって、心穏やかに待つことができる。
そして、一緒にいることがすごい自然なのだ。
百恵はそう思っていないかもしれないが俺はそう思うのだ。
以前は会っても何かギスギスしたものを感じたものだ。
今は何か心がゆったりしている。肩肘を張らなくていいのである。
僕は風邪気味で薬を飲んでいて、百恵と会っていて、空中に浮いているような感じがした。
何を言っているのだろう。僕自身もよく分からなくなってきた。
百恵の好きな中華料理のピータンを食べ、チンジャオロースーを食べ、餃子を食べ、幸せである。
何時も食い物を決めていない俺。男としてはいけないことなのだろう。
だが、百恵と二人で食い物を決めている時、俺は至福の時に感じるのだ。
こんな俺に何時もつき合ってくれて有り難う。俺はもう道を決めた。
後はお前に幸せをもたらすだけだ。俺はなんて幸せな奴だろう...。
支離滅裂な馬鹿な奴かもしれないが...。


[10/29(火)]

10/22(火)から一週間ぶりである。
百恵は先週から聞いていたのだが引っ越すとのこと。
私が再三再四言ってきたように百恵という人間は同居人がいると自身の行動に制限が出てしまい、息が苦しくなるのである。
まあ、人のお金とは言え、ようやく踏ん切りがついたらしい。
若い時は親にどんどん迷惑をかけなさい。
ただし、その事は必ず覚えておくことだ。
自分が親になった時に自分の子供にその施しをしてあげなさい。
子供がそれを望んだ時に...。
電化製品もあまり贅沢にならないように考えなさい。
高橋真梨子の歌にどういう意味があるのかは分からないが俺はずっとお前の事を変わらずに愛しているし、信じている。
お前が我侭を言っていた時になど戻る必要はない。
お前が人生を歩む中で幸せにしていくのが俺の使命なのだから。
しかし、この前も言ったように自分の世界は確立すべきである。
人を頼った人生というのはそれなりのものにしかならない。 俺は何をするのも自分の意志で行動出来るような人間になって欲しい。
それ以上の事はいらない...。


[11/5(火)]

朝8:00に電話が鳴った。母親からの電話かと思い、出るとこんな早くには珍しく百恵だった。
何かと思い聞いてみると「区役所に行きたいの。」という事だった。
私は咄嗟に百恵が引っ越しすることを思い出した。
俺は会社に行かなければならなかったが「何時?。」と聞いてしまった。
午後2時か3時頃だろうと思っていると「朝の10時。」と予想外の答えであった。
とりあえず、「分かった。」と答え、会社に偽のファックスを送信した。
朝の10時に自宅に迎えに行き、インターフォンを鳴らし、車の中で待つことにした。
百恵は犬を抱いて降りてきた。おばさんから預かったそうだ。
僕は区役所はてっきり中央区役所だと思い、そちらに向かうと豊平区役所とのこと。
その車中で書類のことを尋ねると「あっ!!」という声を上げた。
すべて書類も印鑑も家に忘れてきたのだ。いつもながら、おっちょこちょいな女である。
(そこが可愛いところなのだが...)
印鑑と書類を区役所に提出すると今度は保証人の書類が足りないという。
父親と実家に書類を取りに行き、ようやく印鑑証明書が手に入った。
「ああ、疲れた。」と百恵は一言発した。それはこっちのセリフである。
百恵のおごりでびっくりドンキーで食事を取り、会社に戻った。
ああ、しんど!!


[11/6(水)]

百恵から11/27に新しい店を出すことを聞いていたので古本屋でフランス語の辞典を手に入れ、名前を考えていた。
21:05頃、電話が突然鳴った。「また、百恵だな。」私は咄嗟に思った。
あにはからんや、彼女であった。暇だから来てといつものセリフ。
今日は私もその言葉に乗ってしまった。「甘いな!」
行ってみると確かに店は空いていた。百恵は準備して待っていた。
百恵とみすずちゃんを相手にし、1時間くらいでお暇しようと考えていたのだが、予想というものははずれるものである。
帰宅はもう午前2時くらいになっていた。百恵は少し酔っぱらっていたようだったが僕はわざと元気を出して階段を駆け下りた。
後ろで百恵の笑い声が聞こえた。
今日もご苦労さん!!


[11/11(月)]

今日は朝5:00に起きて、デリーズの出店の手伝いに出かけた。
しかし、帰宅すると同時に何か心が浮き浮きし、風呂に入り、食事も取らずに「つかさの家」に向かった。
手には3ヶ月くらい前にあいちゃんに頼まれたプリングルズを持って...。
女性が6人いたが客は11時過ぎ頃まで私一人であった。
外は雨模様ですすきのにはあまり人間も歩いていなかったのでしょうがない部分もあった。
百恵が「今日、引っ越したの。」と言っていた。姉は実家に戻るとのこと。
水曜日には炊飯器が届くということで「お米と調味料が欲しいの。」などとほざいていた。
だが、今日は暇ということもあり、あいちゃんともう一人の女の子が付いていたため、百恵とは私的な話がほとんど出来なかった。
百恵もあまり気分が良くないらしく、彼女との会話は弾まなかった。
お引っ越しで疲れたのかもしれない。それともあの日なのか。
店ではやはり本当のことは聞けないし、百恵にも迷惑だろう。
でも、いつも年中こういうことで一喜一憂している私であります。
店の名前も「あむらクラブ」に決まったらしい。
何か回文のようでもあるが、意外に覚えやすいかもしれない。
拙者が考えたのも一様持っていったのだが、難しすぎたらしい。まあ、それはいい。
後は百恵が頑張ることである。
それにしても百恵と1994年7月14日に知り合ってから、早、2年以上の歳月が過ぎた。
私は彼女に対して、以前より一歩でも進んだのだろうか。
そう思いたい。俺なりに彼女の力になってきたという自負はある。
けれど、たまにはそれがぐらつき、精神的に不安定になるのだ。
だけれど、俺には百恵を愛し続けるしか方法はないのである。
頑張るしかない!!


[11/16(土)]

15日の米の一件があり、何か胸騒ぎがして、店に来た。
百恵は本当に顔色が悪く、聞いてみると店の中で吐いてしまったとのこと。
その汚物はあいちゃんが始末したと言っていた。
お客さんと言い合いをしてそういう状況になってしまったらしい。
百恵の顔にはそれが原因と思われる吹き出物が出ていた。
15日(金)はそういう理由で店を休んでしまったようだ。
マスターと百恵と3人で彼女が小学生の時の話に華が咲いた。
何か色々と悩んでいたことが百恵の顔を見たとたん、吹っ飛んでしまった。
「俺はやはりこの女を信じなければならない。」ということを再度、自分の中に確認した。
彼女には今まで何度も裏切られ、約束も破られた。
だが、俺はこの女を幸せにすると決めたのだ。
少々のことで気に病む自分がとても小さな人間のような感じがして情けなくなった。
人を信じるということは辛いこともあるが一人の人間を愛したのだからそんなことでめげてはならない。
まあ、その内に百恵に米でも届けよう!!


[11/20(水)、23(土)]

11/20の事はあんまり覚えていないが百恵に「俺、来年結婚するんだ。」と言った。
彼女は「へーやっと、出来たんだ。」という反応であった。
もう少し黙るとか、違う反応をしていたんだがそんなものだったのかもしれない。
こんな反応を試すと言うこと自体、俺はやはり心の中では彼女のことを信じていなかったのだろう。
人間を心から信頼するというのは本当に難しいことだと思う。
俺はいったい彼女をどうしたかったのか?
自分でも分からなかった。
ある本を読み、「自分にとって幸せとは?」と問いかけてみた。
彼女のことをいろいろ羅列していったがそれを実現したからといって、果たして、自分は幸せなのだろうかという疑問が湧いてきた。
それで23日に夕方、目覚めると突然思い立ち、百恵に電話をかけた。
俺の心の中では既に整理は終わっていた。
無理矢理に忙しい彼女を呼びだし、俺の今まで心にあったわだかまりを話した。
彼女のことを本当に好きだと気持ちを伝えた。
答えはやはり俺がずっと感じていることであった。
彼女には同業者でつき合っている男がいるとの事。
まあ、若くて、かわいい彼女に他の男が興味を示さないわけはないだろう。
俺はもう、彼女に会わないつもりだったが別にそうすることが俺にとってメリットがあることではないと思い直した。
俺は一般的な男が振られるときのセリフを聞いても特に動揺はしなかった。
負け惜しみではなく、心からそう思っていた。
これからもこの観察日記は継続していきたい。
彼女を将来をこの目で見極めていきたいから。
11/23に俺はまた新しい人間関係と未来に向けて、一歩を踏み出したと思う。
百恵よ、同志として、頑張っていこう!!


[12/3(火)]

前日、百恵から電話が入り「12/3(火)にご飯を一緒に食べたい」との事。
少し勿体ぶった返事をしたがOKした。
当日はいつもの所でいつもの時間に待ち合わせたがいつもの通り百恵は遅刻した。
何か肉が食べたかったのでしゃぶしゃぶを要求した。
青木ボールの中にある花牛に入店することにする。
百恵は野菜を僕は肉とごはんを食べ尽くした。その合間に現在の店の状況なども尋ねた。
店とは新しい働き先の亜夢羅クラブである。
エレベーターを降りると果たしてそこは既に店内であった。
あゆみちゃんがいた。あっという間に2時間が経過し、会計をして僕は店を後にした。
その間に店には2組のお客しか入らなかった。
なかなか前途多難であると言えよう。百恵は何回もお客に電話を入れていた。
これからが正念場である。しかし、先を急ぎすぎると余り良いことはない。
我慢の中にも明日に希望を持って進んで欲しい。
君にとって今は前だけを見て歩く時期なのだから。
また、訪ねることにしよう。拓也。


[12/22(土)]

20日の早朝電話が鳴った。私は夢うつつであったが一回で受話器を取ることが出来た。
出ると百恵の声が聞こえた。聞くと今日はあゆみちゃんの誕生日だと言う。
確かにそうであった。しかし、その日僕には良からぬ計画があり断る。
それなら21日ということでいつもの場所、いつもの処で待ち合わせた。
その日たまたま道路状況が悪く、僕は15分ほど遅れてしまった。
百恵は待っていた。珍しいねという言葉が少し大人っぽくなった彼女の口をついた。
僕は朝6時まで飲んでいて、昼間も焼き肉を食したため腹は減っていなかった。
居酒屋で軽い物を飲みながら、彼女のママとしての悩みを聞いた。
一緒に働いている彼女の友達との間にコミュニケーション不足があるという。
それは彼女たちの間の昔の出来事に起因する。
僕は結論として言わなければならない時期が必ず来ると告げる。
彼女は頷いていた。
百恵は精神的にもかなり成長したと認めざろう得ない。
そんな自己確立が出来てきた人間には簡単なアドバイスだけで良い。
百恵、人間を使うということは疲れることだが喜びも大きい。
悩んだ時には何時でも相談に乗るから、いつも前向きな君でいて欲しい。


[1/8(水)]

97年の百恵との会食はやきとりの梅田で始まった。
いつも通り百恵は20分ほど遅れてお出ましである。
正月は大晦日を除きマンションに一人でいたそうである。
なぜかというと現在付き合っている彼氏が実家の事情で函館に戻ってしまったとの事。
まあ今は仕事に専念しているので逆に良い事かもしれないと少し気張って言っていた。
プラス思考というのはどんな時にも役立つはずである。
人の使い方も難しいらしく黒服の男2人が常識外れの事をして困っているらしい。
まだ二十歳の百恵にはかなり困難な問題と思われる。
しかし、そういう問題にきちっと取り組むことが君を一段と成長させると思う。
君を困らせる人もいるが助けてくれる人もいる。
まだ年が始まったばかりで君の胸を痛めることも多いがいつまでもプラス思考の女でいて欲しい。
百恵とは長い付き合いになりそうだからお互いに一歩一歩成長して歩んで行こう。


[1/25(土)]

97年2回目のデートは久しぶりに「和」のおでんであった。
百恵は事もあろうに6時30分に来ていたにも関わらず10分ほど遅れ笑顔で現れた。
「いつも遅れてるからいつも通りでしょ。」と宣う。
何を考えているんだと思いながらも彼女の頬が少し痩け大人びた顔を見るとその言葉を飲み込んでしまった。
ママも大層お腹が空いているという事で僕は鍋物を提案するが彼女のどんな鍋という質問に応えられず半片と大根の匂いに誘われ前述の店の暖簾を潜ることになる。
二人で通常の2倍くらいの量を食し、ママの希望で姉妹店つかさの家に寄る。
あいちゃんという柱を特別な理由でなくしたつかさの家。
そのメンバーに一抹の不安を抱くママと僕。
その予想は外れればいいのだが。
百恵の店からもヘルプに1名の女の子が来ていた。
「あの子が雰囲気を変えれれば、ね。」と独り言のように呟く百恵。
言葉もなく、頷く私。そこに迫る寒さとエレベーターの点滅。
店に入ると顔見知りがいた。軽く挨拶を交わすと少し堅い椅子に腰を下ろす。
目前には数日前に最愛の恋人を無くしたあゆみちゃんの姿が見えた。
その後、彼女と話したが彼をまだ諦められないようである。
一人の男に縛られる人生は止めなさいといっても彼女に聞く耳はない。
どちらにしてもあなたの人生を歩みなさい。溺れるなら溺れなさい。
そしてその間も百恵は一生懸命ママとして店を切り盛りしていた。
少しウイスキーを胃袋にため込みすぎた僕は団体の乗るエレベーターで1階へ向かった。


[2/4(火)]

定刻6:45に豹柄模様のコートで百恵ママは現れた。
周りを見回すと少し目立っていたので僕は少しどぎまぎした。
お母さんにもらったと彼女は当たり前の顔をしてそう宣った。
雪祭り前夜のすすきのは例年通りに氷の像で溢れていた。
道行く人も通常よりは観光客の姿が目に付く。
やきとり、おでんと続いた料理の旅は中華料理に向かおうとしていた。
氷の像で狭くなっている道路を渡り、ビルの中にそこへの入り口を見つける。
「菜々」はその時余り込んではいなかった。
百恵ママが僕の分も含めてタバコを買いに出掛けた。
その間に店の席はどんどん埋め尽くされてゆく。
戻ってきたママは番茶、僕は紹興酒をオーダーした。
ママは昨日の泥酔の影響もあるのだが最近は仕事のことを考えて直前は余り飲まない。
その後は思いつきで頼んだ食事でどんどんテーブルが埋め尽くされていった。
会話も店のこと、彼氏のこと、友達のことなど多岐に渡った。
一つその中でうれしかったことは彼女が僕のプレゼントした本をきちっと読んでくれたことだ。
そして、店の女の子にも是非読んで貰いたいとも言っていた。
話題を一通り語り尽くした時を見計らって彼女が声をかけ店を後にする。
店に着くと常連の顔が2つくらい目に入った。
その一人から一緒に飲まないかと誘われ合流することになった。
その人物が寿司を振る舞い、それで場は盛り上がっていた。
僕にとってはいけ好かない女が一人存在したが...。
ボトルも再度入れたので勘定は2万円を超えてしまった。
何気なくそれを支払い、直ぐにお暇しようとしたが最後に百恵ママが返ってきたので少々話をし、それから徐に席を立った。
百恵ママの来週の誕生日の事が脳裏に焼き付きながらタバコのための小銭を出し、少し歩いてタクシーに滑り込んだ。


[2/11(火)]

本日は札幌雪祭りの最終日である。
昨日電話があり、百恵ママは祭日の今日も店を開く。
例によって食事のメニューは決定していなかったがママの一存で焼き肉になった。
実を言うと前日に友人の松浦君と私で清田にある新聞に掲載された焼き肉屋で食していたのだった。
まあ、代案もないし百恵に従うことにしたが「大将軍」などというチェーン店は遠慮させていただいた。
「辛いものが食べたい」と宣う百恵ママ。
彼女は韓国風スープ、僕はいつも通りにライス他を注文した。
僕がビール2杯を飲み干すと百恵は席を立った。
その後何かの拍子に分数の問題を出すと妙にママは興味を持った。
そして店に着くと男性従業員に答えを聞き出す。
席についても何故かその事に拘っている様子であった。
私も遣らなくても良い事を紙に書いてまで説明するに至る。
百恵ママは何かに中ったようでトイレと流しを行き来していた。
その間、二度ほど話したことのある女性と簡単の人生論を闘わせ、帰路に着く準備をする。
そして、少し強く降る雪の中、営業車のドアに指をかけた。


[2/28(金)]

19:00を超えて百恵ママはいつもの場所に登場した。
今までの待ち合わせで一番遅い。
しかも到着した時に「18:00にはもう支度を終えてたのにねえ〜」と言い訳にならない言い訳をしていた。
その上、例によって昨夜の飲み過ぎで体調が最悪であるとのこと。
「なにが食べたい?」と聞くと「蕎麦」という意外な返事が返ってきた。
相当体が悪いらしい。しかも彼女の疲れ切った表情がそれをもっとも表現していた。
彼女の提案で潮という店名の蕎麦屋と寿司屋が一緒になった所に足を向ける。
私が鍋焼きと注文すると百恵ママもそれに続き同じものを頼む。
途中で私はこのままだとなんだか侘びしい夕食になりそうなので上生をオーダーする。
鮨も鍋焼きももう少しで食し終わるというところで百恵ママは海老天麩羅を私の鍋に寄こした。
理由は「油物は今日はダメ」と最初の体調の項に戻った。
それから店に行くと最近は週3回は来ているというフクちゃんが来ていた。
私はいつもの言葉をこの男に掛けた。彼の返事もいつも通りだった。
あゆみちゃんのショートカットも見れて映画の話もそれなりにし、トイレに立ったのをきっかけに2時間で愛犬の元に帰ることを決めた。
小雪の混じる中、外に出ると給料日後のすすきのにしては人通りが少ない気もしながら乗車出来る車を探した。


[3/22(土)]

7時ちょっと過ぎに百恵ママはあゆみちゃんと現れた。
いつものセリフと共に...。
アパートがなにか鍵のために都合が悪く、昨日はあゆみちゃんの所に泊まったそうな。
そのため、服はコギャル風のセーターとズボンであった。
どうみてもミニクラブのママには見えない。
さあそれはさておき、いざ食事に向かおう。
今日は「焼き肉か?」なんとなく頭に浮かんだ瞬間、百恵ママから焼き肉という声が上がった。
この前は避けた焼き肉屋に今日は行く羽目になってしまった。
食してみるとまあ肉質はチェーン店の他店よりは若干いいくらいであった。
百恵ママとあゆみちゃんは激辛スープに文句を付けていた。
食い進める中であゆみちゃんが何か吐き気がするという。
この子はいつも余り食べないのだがちょっと食べ過ぎるとこういう状態を引き起こす。
トイレに行きたいと頻りに呟いていた。
それは亜夢羅クラブに入っても一緒であった。
その言動は女の子としてはもしかすると下品で配慮に欠けることかもしれない。
それでも「タバヤン」の前では言えるということばに鼻の下を伸ばす自分が情けない。
店に通じるエレベーターの中で百恵ママとお客さんが何人いるか賭けた。
賭けは私の勝ちだったが彼女はいつも通りお金の支払いはなかった。
百恵ママは私服の可愛いセーターから着替え中でちょっと時間が掛かっているようだ。
果たして、ママは白い衣装で現れた。
百恵ママはどちらかというと地味な衣装が好きだが目立つ色の服も着るべきだと私は思う。
本来ならばカラオケは12時過ぎからなのだが今日は暇ということで私も含めて4曲くらい歌った。
今日付いた女の子は余り喋らない子だった。
座っているだけでは本当はお金にならないし、座った以上はプロなのだ。
この意識が完全に欠落している女の子は非常に多い。
百恵ママは又来週も誘うからという言葉と中華料理を食べようというフレーズが耳に残りながら帰途についた私だった。


[4/11(金)]

仕事の余韻から自宅に着いたのが6時25分だった。
愛犬ミルクに餌を与え、家を出て、今月から消費税のため600円に値上がりしたタクシーを捕まえたのが6時32分過ぎ。
ロビンソンの前に到着したら6時45分であった。
いつもの待ち合わせ場所を探したがそれでも百恵ママの姿はなかった。
「期待した俺が馬鹿だった」と思った。
百恵ママはいつも通りの出勤で6時58分にそれでも少しすまなそうな顔をして現れた。
俺も遅刻したことを告げると彼女は「遅刻しちゃいけないな」とちょっぴり舌を出して笑った。
ば〜かと思いながらも直前まで3食を抜いていた俺の腹時計が鳴った。
それでも通常通りメニューは決めていなかった。
中華にしようかと百恵ママは声を上げる。
寒空の中、ビルを通り抜け、薄野交番の横にある「菜菜」の扉を開ける。
店のテーブル席は予約があると見えて座ることが出来ず、百恵ママとは初めてカウンターに座った。
他の女性と一度カウンターに座った時、実は不味い思い出があった。
ここでは記さないが...。
ママはウーロン茶、俺はビールとまず頼む。
百恵はいつも通りピータンをオーダーし、俺は空腹を満たすために片っ端にメニューから頼んだ。
10皿近く平らげた会計は8000円近くなっていた。
まあ、最近は1ヶ月に一回くらいしか薄野に出ていないから偶にはいい女と豪華な晩餐というのも良いかなどと自己正当化していた。
呼び出しを受けた時、百恵ママは何か愚痴があるという事だったが実際は余りそういうものはないものである。
大体が口実なのだが可愛い女と食事する時の嘘は許せると俺は思う。
その後もマスターからある水を貰うという口実で二ヶ月ぶりに「つかさの家」に立ち寄る。
店は22名の団体が入り、久しぶりに盛況だったようだ。
適当なところで亜夢羅に向かい、空いていた左はじの席に着く。
以前俺のことを見たことがあるという酔っぱらいのおやじに少し嫌な気分にさせられながらも百恵ママを待った。
その間に俺のことを慕っている和田店長と二言三言話す。
60分を経過した頃から札幌の西陵高校を卒業したとかいう女性と「現在教育論」について激論を戦わせた。
「教育などという堅い問題を真剣に考える女もいるんだなあ」と変に感心し、店を後にする決意をした。
その日は新入社員の歓迎会などで何時になく薄野の夜は盛況であった。
たまにはこういう夜があってもいいよなと自分とこの地に言い聞かせながら家路に着いた。


[4/25(金)]

その日僕はロビンソンの前でルックという居酒屋の宣伝に出ている小太りの男を見かけた。
別にどうという事ではないが何故か印象に残った。
他の人々は全く気づいていないようであった。
さて今日は百恵ママと定刻に待ち合わせたが僕が出張先の稚内から戻ってきたのが6時30分。
そして僕が待ち合わせ場所に到着したのが6時45分であった。
この日は一般的な給料日と週末金曜日それと年度始めの歓迎会などが重なったと見えていつにもまして薄野は盛況であった。
百恵ママが彼女の定刻に現れた後もその話題が口をついて出た。
今日は珍しく食事のメニューは「焼き鳥」と自分では考えていたのだが彼女から意外な提案があった。
「しゃぶしゃぶ」にしようというのである。
まあ、僕も腹は減っていたので別に断る理由もなく、彼女の提案を受け入れた。
店は今まで一度も入ったことのなかった「北海しゃぶしゃぶ」という所である。
名前は聞いていたが僕は内心たいしたところではないと思っていた。
だが、予想に反して店は混んでいた。
小上がりを選択し、百恵ママを面前で捉えると肌の艶がこの前会った時よりも改善されていた。
司マスターから貰った水のおかげかどうか聞くのをすっかり忘れてしまったがそう感じた事は確かであった。
そんな事を思っている内に注文した肉と野菜が運ばれてきた。
肉は予想に反して牛ではなく、羊であった。
なんだやっぱり安いのは牛を使ってないからなのかと確信した。
それにしても三人前頼んだのに肉の量が少ないなと内心思っていたところにあとの一人前が運ばれてきた。
店員曰く「全部運んでしまうと場所が狭くなるでしょうから」という言葉がふるっていた。
百恵ママは肉をうまい旨いと食べていたが私は羊というのが心に引っかかっていた。
それはさておきママの本日のお題は昨日、和田店長と揉めたとの事である。
詳細はここでは書けないが女性関係の問題だという話である。
まあ、従業員を使ってやっているとそういう事もあるさと百恵ママには言った。
彼女の前向きの姿勢は否定すべき事ではないし、この姿勢に対して僕が言えるのは只肯定してやることだと思っている。
一通り肉と野菜を食べ尽くし、店に行く準備を始めた。
店に到着すると疎らにお客さんが入っていた。
和田店長がいつも通りの笑顔で迎えてくれた。
今日はあゆみちゃんが付き、余り気を使わなくてもいいなと思いながら適当に話をしていたところ、例の変わり者の女の子が来た。
ノイローゼだとか言い、自分を否定する彼女の諄い話を聞いている内に眠たくなり、百恵ママに帰ると告げた。
俺にはこういう否定論者のヨタ話を聞いている暇はないのだ。
帰って愛犬ミルクと一緒に遊ばなければいけない。
昨日の出張で寂しがっているはずだから。
少々早めに10時少し前くらいに帰途につくが人の数に比して、タクシーの台数の多さが目につく金曜の晩であった。


[6/4(水)]

彼女に会うのはなんと1ヶ月半振りであった。
その日、百恵ママは珍しく予定時刻5分過ぎには登場した。
そして直ぐに夕食の場所として「一鮮万漁」という何回かいったことのある居酒屋を指定した。
一鮮万漁に到着するとその日は開店したばかりということもあり、少し閑散としていた。
だが、適当に注文したところで次第に込み合ってきた。
いざ注文ということで私がメニューの中で一番注目したのが「銀ダラのチーズ焼き」という文字であった。
ところが果たしてこの料理が一番最後に運ばれて来た時には満腹で食べられなかった。
このメニューは百恵ママも少し食べて「うまい」と言っていた。
この料理が来る間にママから近況を聞くと大きな話題として一つは和田店長が女性関係で店を去ったとの事。
もう一つは彼女自身も函館の彼氏とつい最近別れ、それが原因かどうか分からないが体の調子が悪くなり1週間ほど店を休んでいたとの事。
これらの話を肴にし、8時頃にこの店を後にしてこれもママの提案で姉妹店「つかさの家」に向かった。
外は雨が降り出して来ていた。
濡れることを避け、足早に店のあるビルに直行した。
つかさの家は常連客2人が酒を飲み、店の女の子と歓談していた。
私はマスターとビールを挟み、久しぶりにゴルフ談義などをし、百恵ママはカラオケで唄を歌い、1時間余りの時を過ごした。
それからママの店に向かったが外界は雨が更に酷くなっていた。
エレベーターで店に行くとその時、お客が一人という体たらくであった。
「まあ、水曜日だし、天気も雨ということで仕方がないなあ」と私は彼女に気づかれぬように心の中でそう思った。
その後、少しの間を置き、北海道東海大学に通う女の子が来たが余り興味がなかったので「つかさの家」で飲んだ酒が回り、急に帰りたくなった。
百恵ママに正直に告げると「それじゃ、誕生日に御飯食べに行こう」と宣った。
そうなのである。今月の24日が私の35回目の誕生日なのである。
もう既に誕生日などは嬉しくない年代だが若いおねえちゃんと御飯が食べれるのは何にもましてうれしいことだ。
そういう色気が無くなったら男ではないなどと勝手に理屈を付けているのだが...。
それにしても借金を抱えながら親にも感謝しながら25歳で自立し、店を持ちたいという彼女には今後も応援を厭わない所存である。
「さ〜て、24日は何を食べに行こう」と今から結構楽しみな今日この頃であります。以上


[6/24(火)]

私の歌の神様-美空ひばりの命日。
そして、私の35回目の誕生日、6月24日が来た。
数日前に百恵ママから電話があり、その日が大丈夫かどうか確認された。
私は態とらしく勿体ぶった返事の仕方をした。
だが、心の中は既に前回同伴した4日の時点で決まっていた。
「ロビンソン」で6時30分にいつも通り待っていると百恵ママは7時きっかりに現れた。
「謝りは言わないからね」と早速宣う。
今日は序盤から何食べる、何食べると頻りに連発している。
焼き肉でも食べるかと私が嘴を挟むと直後に昨日実家で食べたと即答。
その時、私の脳裏に突然何故だか魚介類が浮かんできた。
「鮨だ!」という閃きの一言で小生の誕生日ディナーは決定した。
そこは年に数回食べに行く「行きつけ」と言ってもいいのかどうか分からないが「写楽」という寿司屋であった。
値段もそう高くなく、味もそこそこ旨いのでいつも非常に店内は混んでいる。
入店してすぐにビールとウーロン茶を飲みながらその後1時間は殆ど食事も取らずに話し続けていた。
その会話の中で百恵ママはやはり食べていても店の事が気になるのだ。
特に従業員との人間関係はママにとって最大の問題であり、関心事である。
人間関係を悩むのも必要ではあるが時間が解決してくれることもある。
慌てるな、他人の事に本気で悩む人間には神様が必ず微笑んでくれる。
なんて観念的なことを考えている内に店を出る時間になった。
果たして、亜夢羅クラブに行くとお客は一人しかいなかった。
その顔には見覚えがあった-ハッシーである。
ハッシーこと橋本君はつかさの家からの常連客である。
彼と会うと何時も一緒に飲むことになる。
まあ、私も特に断る理由もないし、楽しいからその環境を良しとする。
彼はいい奴なのだが仕事などに於いて自分を過剰に評価しすぎ、その上、金の支払いも悪い。
その点は反省すべきだと思うが私は人のことにそれほど干渉はしたくない。
まあ、自分で気づくことに期待しよう。
それから百恵ママは私の誕生日という事もあり、時間外のカラオケや用意していたバースディケーキで楽しませてくれた。
35歳の私には少し照れくさい気持ちもあったが素直に受け入れることにした。
ハッシーの席に着いていたのはママとの話題で出ていたたまえちゃんであった。
以前は色々とママとの確執があったみたいだが今はそれもある程度解決したようである。
彼女は基本的に明るいし、顔もオヤジ系統にうけるから接客業には向いているのだ。
等々の事を話しながらもう2時間が経過しようとしていた。
ハッシーに今日はつかさの家に行くのかと聞かれたので少々戸惑ったが行くことに決定。
だが、そのつかさの家に行った後で午前3時に焼き肉屋「南光園」に行かなければならなくなるとは予想だにしていなかったのだが...。


[7/14(月)]

百恵ママと知り合ってから早、丸3年を迎えてしまった。
夕食はママの要望でこの糞熱いのに真っ黒い汁のおでんだった。


[7/25(金)]

札幌では珍しく6日連続で真夏日である。
7日連続になるとなんと40年ぶりくらいになるそうだ。
中島公園に近い「ランプ亭」で焼き魚を食べる予定だったが予約がないと食事が出てくるまでに時間が掛かるとの事でここで食べるのを諦めた。
結局、亜夢羅クラブに近い「月村」という少々価格が張る焼鳥屋に決定。
ここは秋田の比内鶏を使っているから確かに肉質は抜群である。
そこまでタクシーで行きたいという百恵ママの我侭を聞き入れずに一目散に歩いて行く。
今日の収穫は浴衣姿が可愛い珠恵ちゃんの電話番号が聞けたことか。
この日記も段々書き方がぞんざいになってきた感じがする。


[8/6(水)]

昨日の雨が嘘のように晴れ上がった8/6。
そして今年のすすきの祭りが明日に迫った日、私達は予定の日より一日遅れて同伴した。
百恵ママが珍しく6時半ピッタリに来ていた。
理由を聞くとつかさマスターにきっちり説教されたとの事である。
何れにしてもそれは社会人として常識だから守って当然。
その当然の事が守れないのが現代人なのだが...。
彼女はその話をするやいなや信号を渡り出し、ある方向に歩き出した。
それを問いただすと「菜菜」といういつも行く中華料理屋に決めているという。
それに特に反論することもないので店のドアを開いた。
予想に反して店内はいつもより空いていた。
飲み物は通常の如く私が生ビール、百恵ママがウーロン茶。
料理はチンジャオロースー、ピータン、あんかけ焼きそばなど各自の好みが反映された。
だが、亜夢羅で聞いたママの証言では今日のピータンは素材はいいのだが味付けが今一で残してしまったと料理の鉄人みたいなコメントをしていた。
つかさの家に寄り、その後ママの店に向かう。
時間はもう9時近くになっていた。
店にお客は一人もいなかった-ガランとした店内-こういう少しの緊張感の中で席に着くのは余り良い気持ちではない。
女の子達の冷たい視線を感じる。
百恵ママの友達が付いたが特に印象も残っていない。
あるとしたらこれがママと同い年かと思うほど老けていたことだけである。
まあ、これでも8月一回目の同伴義務を果たしたからいいかと妙に納得してしまう私であった。




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