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1. 二十一世紀は「情報を見分ける時代」(1999.6.15)
最近、かつて読んだ本の情報が嘘ではないかということを認識させられた。
それは他の書籍だった。
「その情報も本当なのだろうか?」
この思いが尚更強くなった。
以下は私が以前に書いたエッセイである。
これは自分で書いたので本当だと自信を持って言える。
ディスインフォメーション(偽情報)(1997.2.16) この世の中の情報が全て偽りだったらと考えたことはないだろうか? これを今、語ることはこの状況を考慮すると無駄なことではないと思われる。 何がこの世で一番苦痛かというと自己が生命を営んでいる時にこの嘘を一日中いや死ぬまで流されることだ。 経済問題でも政治の問題でもその他諸々の問題でもそうだがこれらの問題の本質を解明しようとする行為が実際はその問題の本質から遠ざけることになる。 だから、私は自分を擁護するわけではないが映画を単なる一つの題材として自己の人生や日本の現状を考えたかったのである。 本題に戻ると偽情報によって世界がいや世界の民衆達が一部の心ない人物によって洗脳されている可能性があるという事だ。 日本の新聞社にしてもテレビ局にしても(日本では殆ど同義語)影(嘘)ばかり追求し、それを真実だと国民に伝え、したり顔で早朝に反省番組などを作ったりする。 日本人は特に水と情報はただと思っているがこのただほど恐ろしいものはない。 日本人がいや世界の人民がこの世の中で報道されていることが本当に真実なのだろうと考えることはとても肝要なことである。 そして、真実を見極める目を養うことを日常生活の中で恒常的に継続していかなければ、自己の生命を一生、流布された嘘の中に埋没させるという体たらくなまま人生の幕を他人のコントロールによって終えることとなるのである。 それを防御するためにも真実を知り得る方法を自分で模索するしかない。 |
影なのかそれとも実像なのか。現代はそれを見極めるのが非常に困難である。
常識が実像から妨げることも多い。
「こうしなければ」「こうであるべきだ」という言葉の中には影をそのまま信じてしまう可能性が含まれている。
インターネットの普及によって益々、偽情報がばらまかれている。
多くの人々において、それらを判断する能力は著しく低下している。
中には嘘と分かっていても現在の生活に寂寥感を覚えているためにそれを信じたいという気持ちがある人々もいるだろう。
特にオウム真理教の信者達はその傾向が強く思われる。
それを否定することは自分自身を否定することになるからだ。
人間は経験を積めば積むほど、それを払拭することが難しい。
経験が大きくマイナスの力に振れてしまうとそれを戻すのは困難である。
嘘の情報がそれを助長する。
マイナスを更にマイナスにしてしまうのだ。
その事を自覚している人間は良いが無自覚な人間はそれを真理、真実だと思いこんでしまう。
自分を批判する人間達を排除しようとする行為に出てしまうだろう。
その最も端的な例が「サッチー」である。