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アレなんだよなぁ〜!?

BOOK 3
【131-143】



131.映画秘宝「男泣きTVランド」

  • 町山智弘他/洋泉社/247ページ/1996/97.12.4
  • 自ら「日本の映画ジャーナリズムの盲点を突きまくる、はぐれ映画雑誌」と名乗っている。この本の内容を一言で表現するとすれば副題の「『傷だらけの天使』から『必殺』シリーズまで男たちのハードロマン、70年代テレビ・ドラマの世界」ということになるのだろう。それにしても悪戯書きされた表紙の優作のイラストが印象的である。そして、その次のページから始まる各ドラマのテーマ曲の写真と歌詞はファン垂涎のものであろう。その後は「あの頃(70年代)のテレビは映画だった」という展開から始まる。優作やショーケンを中心に「太陽にほえろ!」「傷だらけの天使」「俺たちの勲章」「大都会PART・」「探偵物語」と彼らの出演したドラマから70年代の代表的(中にはそうでないのもある)TVドラマを次々と取り上げて、エピソードなどを添えて解説している。まさにTVドラマが現在のような冷めたものではなくて、本当に熱かった時代のドラマ群である。だから、同時代に生きた人もそうでない人も面白そうに語りあう彼らの文章を読んでみると今は存在しない70年代ドラマの内幕やその当時の俳優達の息吹に触れることが出来るかもしれない。私は非常に懐かしかったし、そしてとても面白かった。
  • 132.魂の昭和史-震えるような共感、それが歴史だ

  • 福田和也/PHP/270ページ/1997/97.12.15
  • 福田氏は昭和35年生まれ、私は昭和37年生まれで殆ど同時代を日本で過ごして来たと言っていいだろう。だからと言うわけではないが氏は少し独善的な考えの部分もありながらやはり共感出来る部分の方が多い。本書は著者が書いている通り、10代〜20代に向けて歴史を学校教育とは違った氏独自の視点で展開し紐解いている。歴史年表なども挿入されているが私は敢えて殆どそれを読まなかったが非常に分かりやすく、氏の認識する日本の歴史が淡々と述べられている。歴史とは本来親から子供へ子から孫へ口実で伝えられるべきものだと私は思う。百歩譲っても学校教育で暗記中心の詰め込みではなく、きちんと教えるべきだ。それが昨今はどちらも機能していないために著述業に従事する人間達が書かなければいけなくなっている。歴史観などは百人いたら百通りあっても構わないと思うが歴史に関して全く無関心ということは個人としても国としてもあってはならないことである。福田氏は本書で昭和の始めが現在の状況と似ていると書いている。それを私なりに解釈すると江戸時代に自分の身の丈で心もある程度満たされて生きていた庶民が明治の文明開化を迎え、そして日清、日露戦争に勝つことにより、欧米と十分に伍していけると考えた。そして昭和に入り、第二次世界大戦は敗北に終わったが戦後はアメリカの庇護の元で経済戦争ではとりあえず勝利を収めることが出来た。この歴史の流れが氏の論じるところであると勝手に認識した。だが、その間に忘れたことは何かというと日本本来の文化と自分の身の丈である。結局は欧米の文化に取り込まれてしまった。そして今、私たちが真剣に考えなければいけないことはこういう歴史の蓄積の上に現在が存在するという事実である。決して突然、皆がこの世に現れたのではない。だから米ソの冷戦構造や異常な事態のバブルが弾けた現在この時に私たちは欧米に追随してきたことを悔いるのではなく、歴史の蓄積は蓄積として自己の中できちんと昇華し、これから迎える21世紀に向かって、本当に社会や会社という非人間のためではなく、個人が本当に心を満たすことが出来る充実した「日本の」というよりは「個人の」価値観を構築して行くべきなのではないか。本書はそのほんの(こういっては申し訳ないがあくまでも個人の問題なので)一里塚になりえると思う。しかし、全てを鵜呑みにせず、自分の頭で歴史というものをもう一度、問い直して欲しい。
  • 133.アメリカ人から見た日本人-いつまで"大人"になれないのか

  • ジョエル.シルバースティン/ごま書房/192ページ/1997/97.12.16
  • 表紙に著者は「在日二十年のアメリカ人経営者」と記されている。私は昨日今日来たアメリカ人に余り日本のことを語って欲しくないがやはり20年も住んでいるとなると日本や日本人のことをある程度理解していると言わざろう得ないだろう。これが実際に読んでみると現在の日本人以上に日本人の本質に迫っている。今の日本人はこういう事実に気づいているのだろうか?それとも知っていて理解しようとしないのか?特に昨今は大企業の派手な倒産劇や不祥事の発覚で経営者達の責任が問われている。だが、果たして日本の一般職員達も自己責任を果たしていると言えるのだろうか。私は常々考えているがこれは「否」であろう。それはジョエル氏も指摘する次のことによって証明されている。目的もなくルートだけを回り、その事実だけを会社に報告する営業マン、自分では何の判断もせず、常に上司の指示を仰ぎ、専門知識が全くないお客に後味が悪い思いをさせる嫌みな人形と化した女子職員、仕事をしているという感覚が全くなく、そこに行けば無条件に金が貰えると思っているパートのおばさんなどまだまだたくさん存在する"子供"でしかない大人達。これは私自身の感覚だが年々日本人は若返っているような気がする(精神的に成長していない)。数年前までは約20年くらい前と比較して、それぞれの年代で10歳くらい若いような感じがしたが今はもっと幼いような感覚がある。その幼さは氏が述べているようにマスコミが垂れ流している情報を自分自身の常識、知識、価値観などの欠如から自己判断が出来ずに鵜呑みにする傾向に顕著に現れている。そして、国や会社は常に自分を守ってくれるという保護体質からも抜け出せない。氏の指摘を待つまでもなく、こんな日本人が21世紀に世界で大手を振って生きていける訳がない。多くの日本人が本書のような書物をたくさん読んで早く今の日本人が異常な事に気づいて欲しい。それは国際社会と比べて「日本人だけが異質」という言葉などで理屈を捏ねることはもう不可能であることを示す。
  • 134.負犬道(まけんどう)

  • 丸山昇一/幻冬舎/317ページ/1997/97.12.17
  • 自分の尊敬する人物のために魂を捧げた映画製作から去らざろう得なかった男・伊原啓一。彼はもと出入りしていた制作会社の社長・馬場から何と探偵の仕事を依頼される。それは彼の経歴からすると実は初めてのことではなかった。その依頼内容はある映画を制作するための許可を赤松信行というヤクザに求めることであった。だが、その調査は意外な形でケリがつく。そして、更に映画界を去る理由となった娘・宇威のために金を稼ぐ必要があった伊原は自己の意には添わなかったが馬場の2つ目の仕事も受けざろう得なかった。その依頼者は伊原が問題を起こしてしまった尊敬する人物の弟からであった。それはその妻である鮎子という女性の行方を探すことである。彼女は突然離婚届を残し、4000万円という現金を持ち出し、失踪してしまう。複雑に「しがらみ」が絡む調査であったがそれにも増して、伊原は最後まで尊敬した人物がこの背後にいることの事実の方が彼自身を愕然とさせる結果となる...。本書は丸山昇一と松田優作やはりこの事を考えずに読むことは出来なかった。この伊原という男と周りの環境はやはり優作を頭に置いて書いたのだと勝手に解釈してしまう。だが、正直に言って、最初の出だしは脚本のようなぶつ切れの文章が続く。丸山さん、あんたに「小説は無理なのか?」と率直に思った。しかし、10ページを越えた辺りから段々と小説特有のリズムに乗ってきたようである。そして人間特有の「しがらみ」を利用しながら主人公の伊原を中心として話は展開して行く。最後はその「しがらみ」が予想外の方に事件を持っていく。この辺は丸山昇一の力量が十分発揮されている。それと映画界にどっぷり浸かる丸山氏の著述として心に残るのが「...映画の製作現場にいるものは、短い批評でもむさぼるように読むクセに、どういう論評がなされてもあんたにゃわかっていないと居直るところがある。...」私も「THOUGHT」のページでこういう事を指摘した事もあるが実際、製作現場に関わる人間の本音だと思う。それにしても優作が今も生きていて丸山と共にこれを映画化して欲しいよな〜。本書を読めば皆さんもそう思うだろう。
  • 135.MIBの謀略-宇宙人の死体の謎

  • 矢追純一/二見書房/319ページ/1989/97.12.21
  • 日本で超常現象研究の第一人者と言えば、間違いなく矢追氏であろう。最近はあまりテレビに出演しなくなったが私が子供の頃は「木曜スペシャル」などに頻繁に出ていた。何時もワクワクしながら見ていたような気がする。本書は矢追氏が8年くらい前に出版したものだが最近流行っている「M.I.B」という私が好きなトミー.リー.ジョーンズが主演している映画のタイトルが頭を掠め、偶然に古本屋で購入した。私自身が事前に「MEN IN BLACK」というのはどういう人々なんだろう?という疑問を持っていたこともある。こういう事実は大抵の場合、映画では変に誇張されてしまったり、改竄されて可愛いキャラクターに変身させられていることが多いからだ。その「M.I.B」の意味が本書のはじめに...という部分で明確に述べられているのでここに記したい。MIB-不気味な響きをもつ、この三つの文字は、事情を知る者を震えあがらせるに充分な恐ろしい魔力を有している。MIBとは、MEN IN BLACKの略で、直訳すると、「暗闇の男たち」とでもいおうか、ある特殊任務にたずさわる男たちの名称である。彼らは多くの場合、やや時代遅れの黒服に身を包み、黒いソフトに黒い靴といった、黒づくめのいでたちで、黒いキャデラックに乗り、どこからともなく姿を現す。その任務は、UFOや宇宙人に関する情報をあくまで隠蔽し通すため、秘密を洩らそうとする者を実力で阻止することにあるといわれる。そのためにMIBが主に使う手段は次に六つである。1.電話、通信など、あるいは他人を介して、忠告する。2.直接会って、脅迫する。3.肉体的苦痛を与えて、思いとどまらせる。4.特殊な機密区域に入れて一生出さない。これには、宇宙人と米軍との共同の秘密地下施設が当てられることが多いという。この施設は、「MJ-12」と呼ばれる。"対宇宙人問題に関する極秘の最高意志決定機関"が宇宙人と結んだ秘密協定に基づいて建設されたといわれる。5.強制的に病院に入院させ、薬物や催眠術によって記憶を失わせるか人格を変えてしまう。6.事故や自殺を装って、この世から抹殺する。死体を残さないこともあるという。この記述を読むとあの映画のコミカルな宣伝が如何にうそっぽいか分かるだろう。実はそこには宇宙人に関する暗黒の部分を何とか隠蔽しなければならないというアメリカの意志があるのではないかと勘ぐりたくなる。本書を読むとそういう感覚が研ぎ澄まされるような気がする。それを日本のあるメーカーのように「麺・イン・ブラック」などと茶化してカップラーメンを出すような脳天気なことをせずに本書から「MIB」の実体を正確に感じ取って欲しい。
  • 136.嗤う!-物議をかもした「あの人」「あの事件」を

  • 田中康夫/光文社/270ページ/1997/97.12.26
  • 最後まで実に楽しく読ませていただいた。だが、何か興味本位の週刊誌を一冊読み終わった感じである。著者の田中氏は「なんとなくクリスタル」でデビューした時からふわふわ実感のない人間という印象であった。しかし、何冊かの著書に書かれていることは実にしっかりした批評であることは確かだ。氏と共感する部分もたくさんある。しかし、人を顔で判断してはいけないがあの面構えは正面切って喧嘩が出来ないタイプである。掲載されている政治、経済などに関連する人々は普段顔を合わせないからよいが本書に登場させてこっぴどく扱き下ろしている今が旬の人々「石田純一、江川卓、田口恵美子、筑紫哲也...」などは今後も仕事で顔を合わせることがあるだろう。彼はその後も間接的に文章でこれらの人々のことを酷評出来るだろうが直接的に彼らを目の前にしたらどうだろう。それは彼がある程度、安全地帯にいてモノを言っているからだと思う。彼は本書で経済評論家の佐高信を師と仰いでいるが両者に共通するのは「人を徹底的に扱き下ろす事」である。これらの著書は読んでいて、快調にページが進むのだが後味が実に悪い。だから普段は余り本を読まないで「週刊ポスト」あたりを愛読している人々にはご推奨する。田中氏のことをそんなに穿鑿しなければそれなりには楽しめるだろう。これは一種の「娯楽本」の範疇である。田中氏がもし嗤うのであれば、自分も嗤われる事を覚悟すべきであろう。
  • 137.天下無敵-松山千春の人生相談

  • 松山千春/集英社/263ページ/1997/97.12.29
  • 私は千春がSTVという札幌のローカル局のラジオの公開生放送「サンデージャンボ・スペシャル」で素人ながら"千春のひとり歌"というコーナーを持っていた頃から知っている。だから、向こうは知らないだろうが敢えて親しみを込めて「ちはる」と呼ばせてもらいたい。今、思い出すと彼の当時の姿はニッカポッカに黒のサングラスというお世辞にも垢抜けているとは言えず、正に「足寄町のイモ」という感じだった。この時にちはるはデビューのきっかけとなるSTVの今は亡き竹田というディレクターと運命的な出逢いをする。その後は皆様もご存じの通りに竹田氏の眼力と千春の歌の魅力が相乗効果で最大限に開花し、二人は「フォーク」の世界で頂点を極める。だが、この千春が一番恩義を感ずる男は既にこの世にない。そして現在の千春は芸能界であれだけの大口をたたき、大きな顔をしている中でも決して竹田氏のことを忘れることはない。こんな千春だからこそ「天下無敵」と名乗ろうが人生相談で独断で意見を述べようが私は彼を信じている。ひとりの人間に心底、魂を寄せる人間に悪い人間がいるはずはない。さて、この副題の「松山千春の人生相談」は週刊プレイボーイに掲載されたものをまとめた本である。本書にはちはるがこれまでの紆余曲折を経た人生の中で得た自分の価値観や規範が若年の読者(18-30歳くらい)からの切実な問題に対して随所に滲み出ている。問題に対する答えも現在の30代の理屈をこねくり回したような似非思想家のように持論に対して無責任ではなく、実に簡潔で明瞭でそれでいて責任感がある。しかし、この簡潔さの言葉の端々には本当は誠実な千春の人柄が垣間見られる。だから是非、本書は人生に悩んでいる人や人生の深みを感じていない人には熟読して欲しい。貴方は千春の言葉遣いが悪い、ぶっきらぼうな言動から「本当の勇気」や「解決策」を得ること請け合いである。
  • 138.松田優作 遺稿

  • 山口猛/立風書房/237ページ/1997/98.1.4
  • 遺稿-発表しないで死んだ後に残った原稿。本書で山口氏も述べているように「松田優作」にはこれらが予想以上に存在していた。「戯曲」「創作ノート」「脚本」「歌詞」などいろいろな形式はあるが何と883枚もの紙に足跡が残されていた。全体の構成は創作ノート「つねひごろのことのぶるーす」、後に歌詞となった詩が23編、戯曲「真夜中に挽歌」第一稿/第二稿、最後は山口氏が俳優仲間に声を掛け、優作が当時、主宰していた「F企画」を中心に据えて、松田優作にとっての演劇、戯曲を当時の彼の週刊誌でのインタビュー語録を交えながら論じている。途中にはファンには垂涎ものの詳細な「松田優作年表」などが挿入されている。締めとして、これだけの文章を残していた松田優作が何故書かなくなってしまったか?を氏は優作との深い関わり合いの中から推論している。ある人物との出会い、宗教との出会い等々...一体何が引き金になったのかは亡くなった今となっては分からない。それにしても「深い人間性を醸し出した男である」と読み終わってから改めて感じずにはいられなかった。本書はファンはもちろんだが死んでから彼のことを知った人々にも是非、読んでもらいたい。特に戯曲「真夜中に挽歌」は当時、色々な事(SF、宗教、権力、無能など)に興味があるがどれも実生活では昇華し切れていない自分を舞台で表現したいという彼の嗚咽が聞こえてくるようである。(当時の写真もふんだんに配されている)
  • 139.優作トーク talk&talk

  • 山口猛/日本テレビ/293ページ/1995/98.1.6
  • これも山口氏の著書。当時、マスコミでは「トーク嫌い」と言われていた松田優作氏の年代や作品別に26本のインタビューを掲載している。この流れの中で優作は作品毎、年代毎、人間毎などにインタビューのニュアンスが微妙に変化している。これは私の勝手な解釈ではあるが松田優作という男は大きく分けると3つの基準で人間の付き合いを考えている。1つは同年代や下の年代で「水谷豊」「森田芳光」のように"感性"で分かり合える人物、2つ目は年代は離れているが「原田芳雄」「深作欣二」「吉田喜重」「鈴木清順」などのように映画人として"尊敬"に値する人物、最後の3番目はそれとは逆に「伊丹十三」のように"感性"も鈍くて合わず、映画人として全く"尊敬"に値しない人物という具合に...。だが、男の性で女性はこの限りではないということだ。本書のインタビューを読むとこの事が如実に浮かび上がってくる。だからおそらく彼に「トーク嫌い」とレッテルを貼っていた人々というのは3番目の人物達なのだと思う。優作という人はこういう人物達には自分の腹を割って話すということをしたくなかったのだろう。本書ではそういう優作の人間に関する拘り、映画に対する拘り、生に対する拘りを十二分に感じることが出来る。また、最後に総評的に山口氏が数々のエピソードや優作の拘りを見極めた上で独自に彼の映画作品を分類し、それぞれの時代を論じている文章は秀逸。この締めの文章と優作の様々な言葉の中から彼の人柄に触れてみたい方々には本当に奨めたい1冊である。(写真多数)
  • 140.あなたの隣の"狂気"-正常と異常のあいだ

  • 町沢静夫/大和書房/235ページ/1997/98.1.8
  • 本書で町沢氏も述べているように現代の都市社会は極端な分裂病や躁鬱病の様な「大狂気」を次第に小規模化し、派手な症状は周りでは見られなくなっている。だが、狂気が薄まっていくと同時に普段は正常と呼ばれている人間の中にも「小狂気」が拡散し始めている。つまり若年層を中心に現代人は表面的自我(ペルソナ)を余りにもうまく使い分ける「レーダー人間」の存在のために実は深層心理の中にある本音の部分の内面的自我との距離が開くことによりそれがストレスとなり長年の間に取り返しのつかない事態に発展して行くというものである。しかし、それは「大狂気」にまでは発展しない。彼らは正常と狂気のボーダーラインを揺れ動く。その微妙に揺れ動く患者達と毎日接しているのが精神科医の町沢氏自身である。そんな氏だがエピローグの部分で本音を漏らしている。「クリーンな医学世界」に逃げようと思うこともあると。しかし、人間が心底好きな精神科医は何気ない毎日の患者達との触れ合いの中から人間としての珠玉の体験に感動し、喜び、人間とは何と泥臭く、かつ高貴なものなのだろうと感じる真のドラマを持つこの仕事に結局は戻ってくるのである。こういう医者がいる限り、世の中も捨てたものではないと思うが予想以上に「あなたの隣」には内面的に病んでいる人間が多いということは自覚した方がよい。これは精神科医だけの問題ではなく、親子、兄弟、友達、仕事の仲間、親戚知人など様々なところに存在し、私や貴方自身にも、もしかすると潜んでいるのかもしれない。だから「狂気」が出現する前に本書を読んで一人一人が内面的自我に問い掛けることが必要である。現代社会に多数いる「レーダー人間」は自己の人生を生きていることには決してならないのだから。

  • 141.恥と無駄の超大国・日本

  • 落合信彦/ザ・マサダ/241ページ/1998/98.1.25
  • 母国を心から愛する落合氏は本書で新しい試みをしている。章の最初に「恥指数」「無駄指数」「有害指数」と3つの物差しを掲げて、日本の現状を厳しく断じている。本来はここまでしたくはなかったはずだが断腸の思いで決断したのだろう。氏の論点の中心は腐りきっている「政治」「行政」を酷評しているということだ。氏曰く、日本がここまで行き詰まったのは"バブル"のお金の使い方に問題があったのだと考える。私もこの点は深く共感するところである。つまり、政治家も官僚も一般国民も明日を考えないで私利私欲に走ったつけが今になって回ってきたのである。この窮地にそれら先送りしてきた問題を解決しなければ我々は間違いなく、後世に難題を押しつけることになってしまうだろう。現に有名な画家の作品だが2流の絵画や交響楽団がいないコンサートホールなどはこのまま残存してしまう。著しく射幸心を煽るサッカーくじも導入される。この国は一体文化ということに関してどう考えているのだろうか?子々孫々にどういう文化をあるいは歴史を真面目に伝承し、残そうと思っているのだろうか?自分たちのエゴを満たすのに精一杯で何も考えていないというのが現実である。その題目である"恥の代表格"がバブル時期に外国で買いあさった絵画で"無駄の代表格"がアメリカの数倍は存在しているといわれているコンサートホールである。両方に共通するのは莫大なお金を浪費しただけで文化が全く昇華されていないということである。こんな日本が軌道修正をするのに何が必要かというと個人が問題意識を持ち、それらが実行されていない場合は抗議も辞さないという毅然とした態度を示し、その上で古典やクラシック、日本の伝統的文化に学び、人生をもっと謳歌することである。これらは決して人から与えられるものではないし、自己意識を改革して行くしか方法はないと言わざろう得ない。その一助として本書は非常に有益である。著書でたびたび落合氏が悲嘆するようにこの国には「恥と無駄」があまりにも多すぎる。
  • 142.極楽TV(宝島)

  • 景山民夫/JICC出版局/279ページ/1985/98.2.3
  • "極楽TV"は先日、不慮の事故?から焼死された景山氏の今から13年前の著書である。氏には心からご冥福を祈りたい。これは当時「宝島」に掲載されていた文章をまとめたもの。私は本書を北見の古本屋で偶然、手に入れた。内容は幼い頃に「笑い」に触れ、大人になってからはずっと放送作家として食ってきた景山氏がその「笑い」に徹底的に拘る。ただし、それは「笑い」を客観的に捉えて、山本某(料理評論家-なんだこれは!)の様な形で一段上の高見から評論するのとは一線を画している。そしてこの拘りのためには同級生と言えども、酷評することを辞さない氏の一環した態度。「極楽TV」という脳天気な題名とは異なり、中身は実に「笑い」に対してひたむきである。それは彼が「笑い」の達人と認める人間達(横澤彪、タモリ、高田文夫、ビートたけし)との対談によっていっそう明白になる。こういう一つのことに馬鹿じゃないかと思うほど、拘れる人間が最近は激減してきた。返す返すも景山氏のような拘りのある人間の死は惜しい。(でも、超常現象や宗教には深入りしない方がよい、というよりは魂まで売り渡さないで欲しい)
  • 143.松田優作+丸山昇一 未発表シナリオ集

  • 松田優作・丸山昇一/幻冬舎アウトロー文庫/571ページ/1995(1997)/98.2.4
  • 読み終えた後、解説に述べられていた山根氏の言葉が最初は空々しかった。しかし、自分が本書を読んでいた時には正にこのトランス状態であった。本書に掲載されている「荒神」「たった一人のオリンピック」「船頭・深谷心平」「プロデュース」(丸山氏贈呈作品)「チャイナ・タウン」「緑色の血が流れる」の6作品は今までの優作の出演映画・TV とは全く趣が違ったものである。もし、彼が生きていれば、何作品かは映画化されたかもしれない。それは裏返して言うと優作が死んでしまったら絶対にフィルムにならないということだ。それほど、丸山は全ての脚本の主人公を強烈に優作を頭に浮かべながら書いている。それぞれの主役名は「ゴロ」「岡本和夫」「深谷心平」「背川利行」「ブン」「甲田某」の6つ。何故、生前に映画化されなかったかは 当時の「優作のイメージ」「早すぎた企画」この2つに尽きるのではないか。ファンならば"優作映画"6本立てを絶対に見逃す手はない。それはこの二人の世界に少しでも足を踏み入れることにより自分自身も「共犯者」になれるからである。少々、分量は多いかもしれないがそれぞれの作品が貴方を飽きさせることはないと断言出来る。丸山氏を始めとして挿入される関係者の話も実に興味深い。


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