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【松田優作 鋭い感性を漂わせた演技】
「傷だらけの天使」は東京の国際放映という撮影所で撮っていたけど、1974年には同じ場所で松田優作君の出ていた「太陽にほえろ!」の撮影が続いていました。
優作は撮影の合間に「傷だらけの天使」の撮影をのぞきに来たんだろうね。えらく背の高い男だなぁと思っていたら、僕のところへ来て「松田優作です」とあいさつするんだ。
それまでずっとセットの隅からこっちを見ていたけど、背が高いから目立つんだ。僕はそのころ優作のことを知らなくて、後で助監督に聞いたら「ジーパン刑事の役で有名ですよ」という。その時はそれだけだったけど、なんだか印象に残りましたね。
初めて一緒に仕事をしたのは、それからだいぶたってから。81年の映画「ヨコハマBJブルース」です。優作が原案を考えて、僕が監督を引き受けた。彼は「遊戯」シリーズに何本も続けて出演していたころで、そのパターンから抜け出そうと思ったんだろうね。。
トレードマークのようだったサングラスを外し、髪もストレートにした。変わろうとするなら、これまでのものを一度、脱ぎ捨てた方がいいと助言したんだ。
横浜の雰囲気を生かすために、この映画はオールロケで撮りました。冒頭シーンでは深夜、大がかりな逆光の照明の中を何百メートルも走ってもらったし、現場ではこちらの言うとおりにやってくれた。
優作は感性の鋭い男だから、演技に関してはこちらは少し触発してやるだけでいい。基本的な演技論なんて話したことなかったなぁ。現場で「ちょっと違うんじゃないか」と、それくらい。
僕は抽象的な言葉で注文するけど、彼は具体的にどう表現したらいいかと考える。普通よりも考える男だったからね。俳優は表現者だから、監督はそれを支援するだけでいい。
「ヨコハマBJブルース」の後は、二時間ドラマやコマーシャルで一緒に仕事をしました。そうしたら優作が初監督した「ア・ホーマンス」(86年)に、やくざの組長役で出ろと言ってきた。いやだったけど断りきれなくて少しだけ出演しましたよ。
初監督だったからか、「ヨコハマ」で組んだカメラマンの仙元誠三さんに何度も映りを確かめていたなぁ。
優作からは時々、電話が来て、いろいろ相談を受けた。「この脚本、読んでください」って。その映画に出演するかどうか悩んでいたんだね。僕が「この監督でこのホンでは、うまく行かないんじゃないか」と言うと、彼もそう思っていたらしく出演を見合わせたこともあった。
第三者としての意見を求めたんだと思うけど、話をするうちに僕も第三者の立場を通り越してしまう時もあったよ。こちらのアドバイスに「じゃあ、ちょっと考えます」ということもあった。
ただ、しゃべりたかった、声を聞きたかった、みたいな時もありました。それで気がすんだのかもしれません。
潔い男だった。思い切りがいいというのかな。惜しい仲間でした。
(1999.8.26 北海道新聞夕刊より)