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3. 学校という名の『商売』(1999.6.24)
私はこの一ヶ月「ある専門学校」でアルバイトをしていた。
最初の面接での約束では一ヶ月後、何も問題がなければ「正職員として採用」されるとの事だった。
配属されるその学科は一年前に創設されたばかりでまだ過渡期にある。
早速出勤すると予想通り、問題が山積されていた。
興味本位で来た大勢の学生に対する体制が全く出来ていなかったのである。
当初は「優しい言葉」を掛けていたらしいが出口である業界が非常に厳しいことを知ると手のひらを返したような態度で接するようにし始めている。
こういう状況で社会に出される学生は可哀想である。
職員は過酷な業務に低賃金。
経営者はたまに来て、朝礼で偉そうな事を言っては学校内をポケットに手を突っ込み、ふんぞり返って歩いている。
どこに教育があるのだろう?
彼の頭には「経営」の文字はあるが「教育」の文字はない。
私が採用されなかった理由は「学校に合わない」「体制批判をされては困る」という二点であった。
一度、会ったくらいで何が分かる。「現場の意見を聞いてから採用を決める」と言ったのに直属の上司に何の相談もなく、独善的に決めてしまった。
「体制批判」に関してはそのまま採用されていたら、あるいはどこかの段階で主張していたかもしれない。
だから経営陣の判断は正しかったのかもしれない。
しかし、21世紀に通用する人材を社会に輩出しなければならない場所がこんなに閉鎖的でいいのだろうか。
今後、専門学校の役割は現在よりもずっと重要になると予想される。
自分は様々な計画を頭に抱いて、長期的に見ていただけに尚更無念である。
働く専任講師は経営陣の言う通りに「はい、はい」「YES,YES」だけを繰り返して行けばいいのだろうか。
その弊害が様々な企業や官公庁などで噴出しているのに経営陣はそれらを「他山の石」と高を括っているのか。
そうだとしたらあまりにも世間知らずで考えが甘いと言わざろう得ない。
それとも百も承知で職員に強要しているのなら始末に負えない。
日本では「老人介護」や「教育」にボランティア精神を持ち込むことが多い。
だからその精神を煽って、企業は多少労働はきつくても労働者を低賃金で働かせようとする。
まさに本末転倒である。
なぜなら、少しでもプロフェッショナルな人材を育てようと思ったらそれ相応の賃金を払うのが当然。
金銭的にうまく都合がつかなければ本当であれば、経営陣が給料を減らしたり、身銭を切るべきなのに日本ではなぜか「リストラ」を錦の御旗に労働者の首からはねてしまう。
「リストラ」が全くリストラじゃないのは明白である。
本来、責任を取るべき人間がきちんと責任を取らずに「トカゲのしっぽ切り」で逃げようとしてしまう経営陣の姑息な手段に他ならない。
特に経済状況が悪くなると自分の保身に走ってしまう経営者が増える。
中小企業の経営者の多くは明日の回転資金のあても付かずに西へ東へ奔走している。
それが母体が大きくなればなるほど無責任な態度でうまい具合にタイミングを見計らって会社を去ってしまう。
ただ、去ればいいのだが普通の会社員が一生かかっても稼げないほどの退職金を貰うのだ。
そして、民間であっても「天下り」に近い事が頻繁に行われており、役員クラスは再就職で殆ど働かずに名前だけを貸す非常勤で数年過ごし、再び何千万円もの退職金を手中にする。
「盗人猛々しい」とはまさにこの事だ。
私の個性や特性がこの学校の体質に合わなかったというのももちろんある。
この学校の再三主張する「自己責任」は物事がうまくいかないのは学校のせいではなく、自分のせいにしなさいということだ。
「自己責任」の意味を曲解して、経営に都合良く使っている。
日本も日本人も元々外国から入ってきたものを加工するのが得意だが「言葉」だけは「言霊」があるので意味をしっかり理解しないと悪用されてしまう。
今の会社に良心がないのはこういう状況が悪くなった時に「人を切る」という事に終始することからも明らかである。
私個人の雇用という面からは「縁」がなかった、「相性」が悪かったで済まそうと思う。
だが、デタラメな経営やカリキュラムについてはこれ以上許すことが出来ない。
社会的に糾弾する方が将来のある学生達のために良いと考えている。
今、その方策を模索中である。
経営陣は首を洗って待っていて欲しい。