MOVIE 12
【601-610】
ピアーズ.ブロスナン、リンダ.ハミルトン、ジェミー.レニー.スミス、ジェレミー.フォリー、エリザベス.ホフマン、チャールズ.ハラハン、グラント.ヘスロフ、カーク.トラットナー、アラベラ.フィールド、ツィ.マー、レスリー.ボーエム(W)、ロジャー.ドナルドソン(D)/1997/108′/97.11.9
ポートランドにあるアメリカ地質調査所に勤めるハリー.ドルトンは4年前コロンビアにある火山の大噴火で恋人であったマリアンを失う。ハリーは再びあの忌まわしき噴火の調査で全米第二位に住み易い都市ダンテズ.ピーク(ダンテの峰)を訪れていた。そこは丁度「開拓時代の祭り」の真っ最中で賑わっていた。ここの町長はレイチェル.ワンドという2人の子供を持ち、「ブルームーン.カフェ」という喫茶店を経営する美人女性であった。しかし、町の経済は実質的にブレア産業の開発に頼っていた。ハリーはレイチェル町長に98%は無駄な調査であると語ったがその甘い予測は直ぐに覆される。その証拠はレイチェルの息子ブレアムが発見したリスの死体と男女カップルの炭酸ガスに因って無惨にも溶解した死体であった。ハリーはこの事実に町民の即時非難を提案したが経済的な理由からブレア社が強硬に反対する。急場を知って駆けつけたハリーの上司ポールも政治的、経済的観点から慎重に行動するようにハリーに命令する。恋人を噴火で失った経験のあるハリーはそれでも納得出来なかったがポールは調査隊を結成し、近代機器を使って「科学的根拠」を町側に提示を約束する。その後、調査隊は微弱な地震は観測するが噴火までには至らないとして1週間で町を立ち去ろうとしていた。その別れの晩にハリーとレイチェルは息子の件を含めお互いの思いを感じ合う。だが、レイチェルの自宅で娘ローレンが欲しがる水が硫黄に汚染されていることに愕然とし、ハリーはこれを「科学的根拠」としてポールに迫る。ポールは直後に決断し、集会を開いて町民に非難勧告を行った。この決定と同時に金目当ての開発業者は町から手を引く。そこに突然地震と噴火が起こる。パニックに陥る町民達。ポールが決断の遅れをハリーに詫びても時既に遅かった。大噴火と地震の中で町民を懸命に非難させるポール以下調査隊の面々、その一方でレイチェル一家を命がけで救おうとするハリー。ハリーとレイチェル一家の最後の望みは意外にもお荷物と言われていたNASAが開発した「ELF」という発信器であった...。ハリー演じるピアース.ブロスナンの「火砕流噴煙」という言葉からあの雲仙普賢岳の火砕流を思い起こした。「デイライト」などのトンネル災害もそうだが日本はこういう災害が多い国なのに何故かこの様な災害の警告となる映画を殆ど作らない。興行的に当たらないから製作しないとかそんなものには制作費が出ないとか日本では映画が未だ文化になっていない証拠である。確かに北野武氏だとかが外国で素晴らしい賞をいただいているがあくまでもそれは個人レベルのものでしかない。もしかするとこういう作品は災害被害者の悪夢を思い出させるとか感情を逆撫でするというかもしれないが真面目に現地で取材し、真摯な態度で製作するのならば被害者の人々も分かってくれるのではないか。このフィルムに関しては最初から最後まで災害の持つ重苦しい雰囲気を良く表現していたと思う。日本でも災害が起こると直ぐに危機管理が叫ばれるが「喉元過ぎれば...」で少し経つと既に忘れてしまっている。映画は本来楽しむものであるがこういう映画を通して「非情な自然の摂理」や「決断することの重要性」などを人々に学ばせることも必要なのではないか。日本映画は現状に浮かれていないで個人レベルから文化レベルまで脱皮すべきである。この作品はそれを再確認させてくれるほど示唆に富んでいる。
@タバタクの採点 4.66/5
トミー.リー.ジョーンズ、アンネット.オトゥール、M.エメット.ウォルシュ、ミロ.オシェア、デイヴィッド.グロー、マデリーン.シェアウッド、ジーン.デ.ベアー、デイヴィッド.ストレイセーン、フランセス.フィッシャー、ピーター.グロンビー、ジャド.テイラー(D)/1989/95′/97.11.15
聖テモテ教会-カルロスという少年の言葉で懺悔の部屋からある現場に向かうジョセフ.マクマーン神父。彼が現場に着くとそこには息も絶え絶えの若い髭面の男が横たわっていた。その男はニムという女の名と最後の場面で神父を拒む様な「主と私の問題...自分を知れば」という言葉を残して死ぬ。ジョセフはこの事件との関わりから不倫相手だと思われるモリーンという彼が住んでいたアパートの主人やその夫であるダンからも事情を聞くことになる。しかし、その反面で事件を通して上司であるモンセニョルが説く教会のやり方に深い疑問を持つ。それは「目の前で苦しむ人間を直接助けてやりたい」という人間的感情であった。ジョセフはこれを直接行動に移し、殺された男ロッドの捜査を独自に開始する。彼はロッドの部屋で少し皮肉が強いマリガンという刑事に出会う。そこでジョセフはロッドが画家であり、ダンがゲイバーに通っているという事実を知る。その上、マリガンから「皆、あんたの事を好きだが誰もあんたの事を知らん」と痛烈な皮肉を受ける。翌日、遣りきれない心の中でジョセフは若い女性の訪問を受けるが彼女は何故か直ぐに姿を消してしまう。彼は直接、その女ナナ.マリーの自宅を訪れ、ロッドが最後にいったニムというのは彼女のことで彼はナナの前ではエミュールと名乗っていて更に二人は1年間同棲した事実を掴む。ナナはエミュールが自分の人生において内面の美しさや自然体の素晴らしさを教えてくれたと熱っぽくジョセフに語る。その一方で彼はダンが自殺をしたとマリガン刑事から聞く。警察に到着し、警察を非難するモリーンを慰めている最中にもマリガンは彼女の感情を逆撫でするような言動を続ける。そこへナナからの情報で「R.オコーナ&A.ベルナード」というエミュールが偽名として使っていた画家の展覧会が開かれるという。そこを取り仕切っていたのはメイソンとジーナという名前の何となく曰く付きに思える夫妻であった。エミュールのミサの近づいたある日、彼の本名がスチュアート.チェイスといい、元陸軍にいたことが判明する。そしてマリガン刑事はダンを犯人と決め付けていたがジョセフは病院に事実を確認するために彼の話を聞きに行く。そこで懺悔の部屋が悩みの解消になっていないことをダンから突きつけられる。その後にジョセフのことを少なからず思っていたナナから電話が入り、例のメイソンという男から連絡があったと彼に告げる。それから疑わしきメイソンを二人で迎える中で同時にお互いの愛の高まりも感じ合う。スチュアートのミサを終えた二人は遂に聖職を超えて愛し合う。その後、ダンが脱走し、エミュールの肖像画を盗まれたことをきっかけに二人は疑わしきメイソンを問いつめる。彼はあっさりと妻の現実を吐く。ロング.アイランドの別荘に二人は事件解決のためにジーナと自分達の人生の答えを目指したのであるが...。正直言って途中からちょっと期待を裏切られた。何故かというとトミー.リー.ジョーンズ演じるジョセフ.マクマーン神父の聖職に就きながらも教会外で現実に横たわる一般的な問題に悩む心の葛藤を簡単にアンネット.オトゥール扮するナナ.マリーとの愛で昇華してしまったことである。確かに映画の常識や興業面から考えると悩みを男女の恋愛の姿に置き換えた方が都合が良いかもしれないがここは徹底的に女に頼らないで心の葛藤を打ち消す方向に持っていって欲しかった。そんな真面目なフィルムは誰も見ないのかもしれないが現実の人の生き様を考えると聖職にある神父に限らず、理想と現実のギャップに苦悩している人々が多い。それに対してある解答を導き出すのも映画の一つのあり方ではないか。これはあくまでも個人的な意見だが解答を男女の愛に求めるのは安易すぎると思う。ただ、そうだからといってキリスト教という宗教を引用した解答もしていただきたくない。その解答をお前が出せるのかといわれるとそれは分からない。ただ、この作品には「死ぬのは主と私の問題」「自分を知ることが大切」「神父である前に良き人間でありたい」など珠玉の言葉の数々が俳優の口から発せられているから期待するのである。でも、私の願いはやはり理想でしかないのかもしれない。
@タバタクの採点 2.48/5
舘ひろし、中島ゆたか、本間優二、沢田和美、山西道宏、明日香和泉、吉岡ひとみ、ナンシー.チェニー、江角英、友金敏雄、峰竜太、榎木兵衛、加藤大樹、エド山口、団巌、清水宏、重松収、沢たまき、今井健二、草薙幸二郎、内田良平、佐藤慶、松田優作(特別出演)、仙元誠三(撮)、白坂依志夫・桂千穂(W)、村川透(D)/1980/99′/97.12.2
楽だと思われたヤクの取引。そのヤクを運んだ野本ヒロシとその舎弟アキラを待っていたのはアキラの死とヒロシの緊急逮捕であった。4年後、ヒロシはそれを仕組んだ組織に復讐心を抱いて出所した。彼の矛先は直ぐに組織にいる八木という男に向けられた。ヒロシは彼とその女を脅し、大体の事情とお金をせしめることに成功する。これを知った八木のボスで今回の芝居を仕組んだ張本人の井戸垣は場合によってはヒロシをばらすように組員に指示を出す。組織は速攻でヒロシを押さえ、井戸垣のところへ連れ去ろうとする。そこへヒロシのムショ仲間だった門田という男が現れ、ヒロシは彼に救出される。そしてその時に門田は小児麻痺の息子を持つという理由とヒロシの事情を考え、組織をこの前とは逆に填めてしまおうと持ち掛ける。だが、ヒロシは何故か乗り気ではなかった。彼はその思いを昔の女キョウコに会って晴らそうとする。その一方で門田はヒロシを畳み掛けるように新しい仲間を紹介する。そいつは鼻っぱしの強い若造の中尾という元麻薬取締官であった。この男は直ぐに「上海丸」という船が関連する井戸垣のヤク取引情報を語る。この後、ヒロシは組織から逃れるために身を隠す。そして約束の25日、ヒロシと門田は金だけは取ることに成功するが組織に感づかれ、その結果、中尾は射殺されてしまう。ヒロシは組織に追われながらも必死に中尾の妻に戦利金を渡そうとする。門田も常宿で溜まっていた宿賃と酒代を払い、意気揚々とカナダへの出発を決めていた。その前に小児麻痺の息子を預けていた「聖マリアホーム」に立ち寄り、お金を寄付したのだが直後に門田は組織によって拉致され、遂にヒロシは組織と最後の戦いに出る。だが、門田の救出と復讐に燃える4年前の事件には何とキョウコと現在のだんな・浜名が絡んでいたのだった...。この作品は松田優作がゲスト出演しているというので見ただけである。その優作は「落ちぶれたシャブ漬けのハマのロック歌手・矢沢」という設定でほんの2カットほど出ていただけであった。顔も殆ど確認出来ないくらいの役である。それにしてもこの映画は村川透監督や周りのスタッフなど優作がいつもやっているメンバーと同じである。だから、全体の構成は「遊戯シリーズ」と「探偵物語」を足して二で割っている感じだ。これだけのサポートがあれば、野本ヒロシ演じる舘ひろしが幾ら大根役者でもそれなりにはなる。しかし、優作がこの作品をやっていれば(同じ事を嫌う優作は絶対にやらないと思うが)、間違いなくもっと迫力のあるものに仕上がったことは言うまでもない。そして作品には遊戯シリーズ第4弾「復讐遊戯」とでも題名がついたであろう。それに野本ヒロシが鳴海章平になったらもっとユーモアも付け加えることが出来ただろうに。このフィルムは紹介だけはしたが見る価値は全くない。幾ら暇つぶしに娯楽で見るとしても...。
@タバタクの採点 1.38/5
志村喬、三船敏郎、山本禮三郎、木暮実千代、中北千枝子、千石規子、笠置シズ子、進藤英太郎、清水将夫、殿山泰司、久我美子、飯田蝶子、植草圭之助・黒澤明(W)、黒澤明(D)/1948/98′/97.12.28
下手なギターの音色と共に医者を訪ねるヤクザ.松永。立ち寄った真田医院は彼の若い衆がちょくちょくお世話になる所であった。院長の真田は麻酔もなしに釘が刺さったという松永の腕を手術する。そこから出てきたのは拳銃の弾だった。気の強い真田は半端な稼業をしている松永に説教する。短腹な松永はカッとして真田に襲いかかるが「結核」の話には何故か耳を傾ける。しかし、診断結果によって再び彼は怒り、飛び出してしまう。「子供に飲んだくれ」と馬鹿にされながら真田は松永のシマである南新町マーケットを訪ねる。馴染みの飲み屋「ひさご」で日本酒をちょっと引っかけて、松永がいるというダンスホールに向かう。そこには奈々江という女性と踊る彼がいた。真田は病院代を踏み倒した代わりに組が経営するバーで酒を奢れと迫る。だが、そこでの彼の説教で松永はまたしても気分を害してしまう。実は真田は松永に女に溺れていた自分の若い頃を投影していた。その一方で真田の医院でお手伝いとして使っていた女.美代には刑務所にいる亭主がいた。その男の岡田は松永の兄貴分でもあり、この辺では顔であった。しかし、彼女は病気を移されるなど彼にぼろぼろにされて、今ここに身を窶しているのである。真田の所には松永以外にもセーラー服の女子高生が結核を治しに来ていた。結核患者に対する彼の持論は「結核ほど理性を必要とする病気はない」というものであった。その後に真田は学生時代の同級生.高浜と偶然に会い、彼の車の中で松永が高浜の病院でレントゲンを撮ったことを聞く。その夜、松永は泥酔で医院に来る。真田は一度は病気と真剣に向き合う勇気のない者は来るなと追い払うが松永のポケットからレントゲン写真を発見すると今度は本気で治療する決心を固める。そんな折り悪く、岡田が4年振りに出所してしまう。この事実が松永の病気を悪化させる原因となる。彼は真田に止められていた酒を岡田に飲まされた上で自分の女である奈々江も奪われ、賭場で負けが込み、遂に喀血してしまう。奈々江の部屋に運ばれた松永は病気のことで彼女から冷たくされてしまう。懸命に治療に当たる真田だったが予想以上に病気の進行は早かった。そして、美代の事も岡田らに知られてしまう。真田はこれ以上はもう自分の手に負えないと判断し、警察に向かうが松永は最後にヤクザとしての仁義を果たすために親分を訪ねるのだったが...。志村喬扮する真田と三船敏郎演じる松永のやり取りは医者とヤクザの関係というよりも「精神的な人間の悲哀」と「仁義と金の重みの違い」など様々な縮図を感じさせた。特に真田が発するセリフの一つ一つはこれが現代の日本語と同じ言語かと思わせるほど深みと心に沁み入るものがあった。これは偉そうに言えることではないが「黒澤映画」に共通することは日本人だけではなく、世界の人々にも共通する人間の弱みや勇気など根元に関する面を取り上げている点だと思う。だから、当時も世界であれだけの評価を受け、今でも人々の心の中に残っているのだろう。それを如実に表すのはこの作品の中で自分の病気よりもヤクザの仁義を重んじた松永が最後には裏切られてしまう部分だろう。彼をその世界から抜け出させようとした真田と千石規子扮する小料理屋のぎんの希望は現実の汚さによって遠くに葬り去られてしまう。この汚さはたびたびカットでも登場する無数に存在する汚濁した沼と水たまりによって表現されている。だが、久我美子演じる少女の結核克服によって絶望に少しの晴れ間が差す。弥が上にも人生の機微を感じずにはいられない場面である。それにしても先日亡くなった三船敏郎氏の死を心より悼む。彼は数々の黒澤映画に出演しているが本作品でもダンディな松永が結核に冒され、やせ細っていく様の中で豪放磊落な個性でいながら最後まで仁義を貫き通した役を見事に演じていた。これは彼の一生にもあてはまっているのではなかろうか。伝え聞くところによると実際は映画の印象とは異なり、繊細な人間のようである。日本では唯一世界で活躍した男優といえるだろう。これら数々の昭和を代表する人々の死に接するにあたって、彼らの築き上げてきた世界の素晴らしさに感嘆するのと同時に現代人の無能さを痛感する今日この頃である。これは余談だが志村喬という男優は地味だが黒澤映画で多数の主役を張るだけあり、実は驚愕に値する役者だと思う。この二人を中心に現代人はこのフィルムから深みのある日本語を学び、自分の浅はかな人生を是非省みて欲しい。
@タバタクの採点 4.95/5
田中好子、北村和夫、市原悦子、原ひさ子、石田圭祐、沢たまき、小林昭二、山田昌、白川和子、石丸謙二郎、楠トシエ、三谷昇、大滝秀治、殿山泰司、常田富士男、小沢昭一、三木のり平、井伏鱒二(原)、武満徹(音楽)、石堂淑朗・今村昌平(W)、今村昌平(D)/1988/123′/98.1.12
昭和20年8月6日広島県-近所の野島さんのトラックで地主である叔父の所へ疎開しようとする高村ヤスコ。その目前で突然、キノコ雲が出現した。直後の「黒い雨」「火の海」は兄弟さえも判別出来ない愁嘆場を作り出した。その後は目を覆うような現状がそこに広がっていた。原因は米軍による「新兵器の原子爆弾」と呼ばれるものであった。しかし、悲劇はこの時だけで済まなかった。この悪魔の「黒い雨」を浴びた人々の不幸はここから始まったのだった。その苦しみを背負いながらある人々は昭和25年5月を福山市で迎えていた。ヤスコもまだ叔父の小畠シゲマツ家に居候していた。ここの家族構成はシゲマツの他に妻のシゲコと祖母がいた。シゲマツの目下の望みはヤスコの結婚であり、今回の縁談もかかりつけの藤田病院の院長から健康診断書をもらうという用意周到さだった。だが、間接的とはいえ、ヤスコも原爆病患者の誹りを免れるわけにはいかなかった。一方、"ピカドン"の他にも戦争は悲惨な後遺症を残していた。近所に住むユウイチという若い男はバスなどのエンジンの音を聞くと反射的に軍隊の行動をとってしまうというものであった。これら後遺症はヤスコの縁談を結局、壊してしまった。この現実を踏まえて、シゲマツとシゲコ夫妻は当時を忠実に再現した「被爆日記」を書こうと決意する。思い出すのも辛いことの連続だがそれがヤスコのためになるならと...。そんな折りに朝鮮戦争特需で成金になった青野鉄工所の息子がヤスコに強引に求婚する。それを補佐するためにシゲマツも山林を売る。だが、悲劇は人をほおって置かなかった。二次被爆者であった片山という男が亡くなった。そして、ヤスコも青野の息子に余り好意を寄せていなかった。現実に絶望したシゲコはこういう運命を霊媒師に託してしまう。彼女はヤスコの母でシゲマツの姉だった若くして亡くなり、この世に一杯思いを残しているというキヨコの霊を導いてもらう。そんなシゲコに少し愛想を尽かしながらシゲマツはヤスコと高村の実家にキヨコの墓参りに出掛ける。そこで彼はヤスコの実父から彼女を家に戻すように頼まれるがシゲマツに深い恩義と病気の先行きを感じているヤスコは頑としてそれを断る。そこに突如、シゲコが倒れたとの一報が入る。彼らが家に戻っても相変わらず病床のシゲコは霊媒師のいうことを信じている。それを案じるシゲマツ。その頃、ヤスコは実はあのユウイチと懇意になりつつあった。彼は石像を作りながらピカや戦争のことなどを彼女と率直に話していた。一方でシゲマツは被爆日記の清書を藤田先生に頼んだ。だが事態は悪い方に向かっていた。二次被爆者であった親友のショウキチやコウタロウがシゲマツの前で次々に死んでいった。そんな中でヤスコとユウイチが段々良い方向に進んでいるという朗報はあったが実はシゲマツの周りには不幸の影が既に忍び寄っていたのだった...。ついこの間、同じ今村昌平監督が「うなぎ」で取ったフランスのカンヌ映画祭グランプリをこの作品も受けている。本作品は井伏鱒二が原作になっているがかなり端折っているような印象を感じた。どちらかというと記録映画に近いものだろう。だが、モノクロにしたのは成功である。演技が稚拙な役者達の粗が隠れると思うからだ。でも、唯一の被爆国である日本が「原爆」をモチーフにする映画を製作すると外国受けすることは確かであろう。そして、このような映画は作り続けることに意味があると考えるからこの際は役者云々はここでは批評しない。映画というよりもこういう現実があり、その時だけではなく、今でも苦しんでいる人々がたくさんいるんだという現実を殆どが戦争を知らない人間達が見て、しっかり認識することが肝要である。この様に言葉にすると重みはないがこのフィルムでは「映像」が伝える力というものは充分感じた。特に北村和夫演じるシゲマツの周りで自分より症状が軽いと思われる人々が次々と亡くなっていく深い悲しみは原爆の恐ろしさを一番表現していたように思う。中学生の教科書などで歴史の改竄が行われている昨今では何が本当の歴史かを自分が確かめるしかない。この映画はその一里塚には充分なり得る。-歴史は先人がその真実を伝達していくものである-
@タバタクの採点 3.5/5
ショーン.コネリー、ダスティン.ホフマン、マシュー.ブロデリック、B.D.ウォン、ジャネット.キャロル、シドニー.ルメット(D)/1990/114′/96.12.4
この作品のジャンルは泥棒一家のコメディ-ドラマとして扱われているが、そんなジャンル分けはどうでもいい。見方によっては涙も流せる映画なのである。主人公(ショーン.コネリー)はまさに筋金入りの大泥棒。そんな父親の息子(ダスティン.ホフマン)は、父親の生き方を嫌いビジネスマンという生き方を選び、大学生の孫(マシュー.ブロデリック)は父親を嫌い、祖父の自由奔放なところに憧れを持っている。孫から見れば父親は現代の日本で言えば家庭を顧みずせっせと働くサラリーマン、祖父は何か人間味溢れる男である。そんな3人が協力して大金を賭けた盗みをやることになるのだが・・・。結局この大仕事は失敗に終ってしまう。祖父は刑務所行きとなり、取り残された親子の確執は深まって行く。そんな折祖父は刑務所の中で亡くなってしまう。さて残された親子の関係はどうなってゆくのか・・・。これから先はご想像におまかせしたい。そしてこの映画を「真の家族の絆とは何か?」という視点で見て頂ければ冒頭の「見方によっては涙も流せる映画」ということがお解りになられることと思う。
@要之助氏の採点 4.56/5
マシュー.モディーン、アダム.ボールドウィン、リー.アーメー、ドリアン.ヘアウッド、アーリス.ハワード、スタンリー.キューブリック(D)/1988/116′/97.5.3
言わずと知れたベトナム戦争を描いた作品である。これほど衝撃を受けた作品はない。この作品の監督は「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」など、独特の感性と映像美で映画を作ることで知られるスタンリー・キューブリックである。さてここでキューブリックにまつわる笑い話しがある。彼は映画の構想に長い年月をかけることで有名なのだが、まだベトナム戦争映画が作られる前にひそかに彼はベトナム戦争をテーマにした映画を作るための構想を練り始めていた。ところがその構想が外部にばれてしまって「キューブリックの次回作はベトナム戦争をテーマにしたものだぞ!」ということを聞きつけた映画関係者が続々と「地獄の黙示録」「プラトーン」などの作品を先に作ってしまい彼だけが後に残されてしまったのである。当然、一連のベトナム戦争映画ブームに乗り遅れた彼は観客が既に何本ものベトナム戦争映画を見ているだけに、それを超えるような映画を作らなければならないという点で不利であった。しかし彼はベトナム戦争を別の角度からみごとにえぐり出し、人間自身が道具や兵器と化していく姿を赤裸々に描いた作品を作ったのである。後にこの作品は批評家を「これぞベトナム戦争映画の金字塔!」とうならせる作
品となったのである。ああ、スタンリー・キューブリックおそるべし・・・・。
@要之助氏の採点 4.88/5
ブルース.ウィルス、ボニー.べデリア、アレクサンダー.ゴドノフ、アラン.リックマン、ジェームス.シゲタ、レジナルド.ベルジョンソン、ジョン.マクティニアン(D)/1988/132′/95.12.4
クリスマス休暇を家族と過ごすためにロサンゼルスにやって来たN・Y市警のジョン・マクレーンが、妻の勤めている商社のパーティーに参加する。が、突然13人のテロリスト集団にビルを占拠され妻を含めて30人が人質となってしまう。たった一人でテロリスト集団に挑む男のノンストップアクション映画。ちなみに手に汗握るスリリングな状況の中で随所にでてくるジョークも見所のひとつ。例えばマクレーンがCB無線で緊急連絡センターに事件の通報をするが、いたずら扱いされ頭にきて「No
fuckin' shit,lady ! DoIsound like' I'm ordering a
pizza?(ふざけるな、ねえちゃん!ピザ頼んでるんじゃねえぞ!)」と叫ぶシーンなどは笑いを誘う。このジョークなどは電話で話す際によくネタに使わせてもらったものだ。そしてマクレーンの決め言葉は「Yipee-ki-yea,mother
fucker(当ったりめえよ、くそ野郎)」。この決め言葉を真似された方も多いのでは・・。
@要之助氏の採点 4.98/5
マチュー.カソヴィッツ、ルイ.トランティニャン、ジャック.オディアール(D)/1994/100′/98.1.28
親友の刑事を植物人間にされたサラリーマンの主人公は、警察の捜査では埒があかぬと単身、犯人探しに乗り出す。犯人らしき人物は頭の弱い少年と行動を共にしていた。フランスの映画らしくダラダラとした展開の中にもテンポがあり、途中で寝てしまうことはない。疲れ切った中年サラリーマンの行動はなかなか興味をそそられる。ラストシーンでの頭の弱い少年の台詞「起こした?」「隣で寝てもいい?」がなんとも言えない。また、この映画の副題には「相棒を殺ったのは残酷な天使」とあるが、ここまで書いちゃうと...。
@熱いぜ!ベイビー氏の採点 3/5
シルベスタ.スタローン、タリア.シャイヤ、バート.ヤング、カール.ウェザース、ジョン.G.アビルドセン(D)/1977/122′/95.3.5
フィラデルフィアのスラムに住む四回戦ボーイのボクサーのロッキーは、食いつなぐためやくざの手先になってしがない人生を送っていた。ところがそんな彼に思いがけない転機がおとずれる。なんと世界ヘビー級チャンピオンのアポロがタイトル・マッチの対戦相手にロッキーを指名したのだ。そしてタイトル・マッチの前日、ロッキーは恋人のエイドリアンに語りかけた。「もし最後のゴングが鳴ったとき、まだ立っていられたら、俺がただのやくざじゃないということを証明できる。」。試合はロッキー圧倒的不利という周りの予想に反して、ラスト・ラウンドになだれ込んでいく・・・・・・・・。テーマ曲「アイ・オブ・ザ・タイガー」にのせて、アメリカンドリームを手に入れる一人のボクサーを描いた名作。
@要之助氏の採点 4/5
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