MOVIE 8
【561-570】
カート.ラッセル、スティーヴン.セガール、ハレ.ベリー、ジョン.ルグイザーモ、オリヴァー.プラット、ジョー.モートン、ディヴィッド.スチェット、B.D.ウォン、ウィップ.ハブリー、アンドレアス.カツラス、スチュアート.ベイアード(D)/1996/133′/97.4.27
トリエステという町にてアメリカ陸軍テロ対策特殊部隊は部隊長トラヴィス以下チェチェン.マフィアからソ連製「DZ-5」という猛毒神経ガスを取り戻す任務に就いていた。この任務は結局失敗に終わるがこれが新たな巨悪テロ事件の序章となる。この後、アメリカはヤファというテロリストの大物の身柄を押さえる事に成功するがこの男を巡ってロンドンで爆弾テロが起こり、アテネから飛び立ったオーシャマック航空343便が406名の乗客と共に乗っ取られる。「アルター(復讐)」を名乗るテロリスト数名を率いていたのはナジという狂イスラム原理主義者の男であった。彼らの要求はヤファの釈放とアメリカの破壊でその手段のために多量の「DZ-5」と爆弾を機内に仕掛けていた。事件直後にアメリカ国防省に於いて会議が開かれ、トラヴィス中佐を隊長として救出部隊が組まれた。メンバーは彼の部下6名と情報部からグラント、軍事技術の専門家ケイヒルが選任される。ケイヒルの指示により「リモーラ」という最新鋭機を使い、旅客機の下に接続しそこから機内に侵入する計画を立てた。だが、この計画は予想外の乱気流によりトラヴィスを失い、しかも爆破処理班のキャピーも負傷するという最悪の結果を招く。しかし、キャピー以下他のメンバー達はなんとか侵入に成功するがこの時、国防省との連絡は既に途切れていた。この窮地でメンバーを統率し始めたのはなんと情報部のグラントであった。彼は冷静な判断からテロリストに対する攻撃と爆破処理を同時進行でやることを進言し、又機転からスチュワーデスのジーンを味方に付けることにより秘密の起爆係の存在も暴こうとする。その一方で飛行機からの連絡が途絶えた国防省は「最終決断」としてアメリカの安全のために接近する旅客機の撃墜を決定。遂に紆余曲折の中でグラントは「最後の賭け」に出るが...。クレジットにトラヴィス演じるスティーヴン.セガールの名があるが最初の1/3くらいの出演で後半は出ていない。彼のファンは少し失望するかもしれない。けれど、この映画は彼を抜きにしてもカート.ラッセル扮するグラント以下メンバー達の抜群のチームワークにより後半の殆どの部分で緊張感が途切れない。言い古された言葉だが最後まで手に汗を握って見られる。最後の場面は「エアポート75」を彷彿とさせたが実は前半の場面がその布石となっていたのだった。このフィルムに限り133分は短く感じた。
@タバタクの採点 4.51/5
ショーン.コネリー、ニコラス.ケイジ、エド.ハリス、ジョン.スペンサー、ディヴィッド.モース、ウィリアム.フォージー、マイケル.ビーン、ヴァネッサ.マーシル、ドン.シンプソン・ジェリー.ブラックハイマー(P)、マイケル.ベイ(D)/1996/137′/97.4.29
無き妻の墓に祈りを捧げるベトナム戦争の英雄.フランク.ハメル准将。しかし、彼の胸の内は耐え難い憤りと途轍もない計画を秘めていた。その恐ろしい計画は直ぐに実行された。場所はアルカトラズ島にある通称ロックという脱出不可能な刑務所であった。ハメル以下海兵隊のエリート達は81名の観光客を人質に取り、最終兵器として高致死ガスロケット17基を装備していた。早速ハメルはFBI長官ウォマックに連絡し、国家に対する反逆罪の事実を伝える。彼らの目的は各戦場で国のために死んでいった多くの兵士達と遺族に余りに冷たい国防省に対して断罪の意味で100万ドルを兵士の遺族のための慰謝料として要求した。この目的遂行のために高致死ガスロケット17基の照準をサンフランシスコに向けた。絶体絶命のピンチの中、FBI長官はこの事件に打ってつけのある男の存在を思い出す。その男とはロックからただ一人脱出に成功した男ジョン.メイソンであった。また、ロケットの起爆装置を外すためにFBIの化学スペシャリスト.スタンリー.グッドスピードが指名された。ひょんな事から詳しい事情も知らずにグッドスピードがメイソンを説得することになった。だが、メイソンは一筋縄で行くような男ではなかった。彼は元英国諜報部員であり、米国のある超機密を掴んだことからこの世から抹殺され、一生刑務所暮らしを余儀なくさせられたのだった。彼は隙を見て宿敵である長官を傷つけ、グッドスピードから逃走する。派手なカーチェイスを繰り広げた彼らはメイソンの唯一の肉親である娘ジェイドの前で一件落着する。その直後、彼らはSEALのメンバーと共に人質救出とロケット処理のためにアルカトラズに出撃する。ベトナム戦争最高の指揮官と呼ばれたハメルそして海兵隊の精鋭達と遂に一戦を交えることになる。ところが彼らの罠によってメイソンと全く実践経験のないグッドスピードを除いたSEALのメンバーは皆殺しになる。必死に任務を遂行しようとする二人だったが...。「リービング.ラスベガス」の時のニコラス.ケイジとは異なり、メイソン演じるショーン.コネリーと密接に絡んでいく内に段々と役柄にのめり込んでいったようだ。ケイジの性格的にはグッドスピード役は普段のままでよいのだが性格変化の演じ方が実に見事であった。それにしても私は何時も緊張感という面を重要視するのだがこれほど凄い緊張は近来まれに見るものであった。そのため、最後の場面では不覚にも涙してしまった。その上、メイソンの「つましい希望が人に希望を与えるのだ」というセリフが涙に追い打ちを掛けた。それとエド.ハリス扮するハメル准将の極悪人に成りきれない軍人の姿が見るものに人間の心理の奥深さを感じさせられ、実にいい演技だったと思う。この映画は絶対に必見である。私は強く推薦する。
@タバタクの採点 5/5
ハリソン.フォード、ルトガー.ハウアー、ショーン.ヤング、エドワード.ジェームズ.オルモス、M.エメット.ウォルシュ、ダリル.ハンナ、ウィリアム.サンダーソン、ブリオン.ジェームズ、ジョー.ターケル、ジョアンナ.キャシディ、リドリー.スコット(D)/1982/119′/97.5.2
21世紀初頭アメリカのタイレル社で人類の未来のためにネクサスという人造人間が作られた。彼らは「レプリカント」と呼ばれたが次第に人間に反逆をし始め、彼らを回収するために「ブレードランナー特捜班」が組織された。時は過ぎ、2019年11月LAでレオンというレプリカントによってブレードランナーの一人が殺された。レオンの他に一味はロイ.バティ、ゾラ、プリスという名のネクサス6型の3人で組織されていた。彼らはこの犯行後にスペース.シャトルを乗っ取り、乗務員を皆殺しにした。彼らを回収するためにブレードランナー特捜班のボス.ブライアンはベテランの班員エディ.デッカードに白羽の矢を立てた。妻とも別れて傷心気味のデッカードは最初この話を拒んだがブライアンの「権力には勝てんぞ」という言葉に脅かされて渋々任務に就く。彼は先ず天才科学者でレプリカントの生みの親タイレル博士に会う。その時、デッカードは博士のところにいたレイチェルという美人レプリカントに瞳孔テストをするように要請される。しかし、実はレイチェルは自分自身を人間と思っていた。その一方でロイ、レオン、ゾラ、プリスの4人はタイレルの技術者セバスチャンを通じて、生みの親タイレル博士に会うことを画策する。彼らの目的は4年と決められていた寿命を伸ばすことであった。この目的を阻止するべく動いていたデッカードはレオンがホテルに置いていった写真からある証拠を掴み、チャイナタウンでゾラとレオンを葬り去る。だがその直後、ボスからデッカードが恋心を抱き始めていたレイチェルにも回収命令が出された。苦悩の中捜査を続けるデッカードをあざ笑うかのようにロイとプリスはセバスチャンのお陰でタイレル博士との面会に成功する...。リドリー.スコットの日本人街を中心に展開される映像美は「ブラックレイン」の時の大阪の映像美に通じるところがある。この雰囲気は彼独特のものであろう。また、「強力わかもとと芸者」電飾が実に隠微な雰囲気を醸し出していた。リドリー.スコットとしては21世紀を和洋折衷の観点からフィルムにしてみたいと思ったのではないか。それだけに硬質な画面になりがちな未来物が少し柔らかい画面になっていた。それと最後の場面でデッカード演じるハリソン.フォードとロイに扮するルトガー.ハウアーの人間と非人間による感情が迸るところは「お互いの命のせめぎあい」が強く感じられた。ここに描かれていたレプリカントのそれぞれが人間に勝るとも劣らない豊かな感情を持っていたのだが21世紀の日本人は本当に豊かな感情を持つことが出来るのだろうか。その時が直ぐそこまで来ているのだが...。
@タバタクの採点 4.17/5
ランベルト.マジョラーニ、エンツォ.ステイオラ、リアネラ.キャレル、ヴィットリオ.デ.シカ(D)/1948/88′/97.5.3
イタリア映画。2年間職安に通い、漸く仕事が見つかりそうなリッチ.アントニオ。ただ、市役所のビラまきをする条件は自転車を所有していることであった。しかしその時、自転車は生活のために質屋に売られていたのである。その危機を妻マリアの機転によって質屋から自転車を出すことに成功する。その帰りにマリアがパリア街の霊視をする占い師のところへ寄ったことがちょっと気がかりであったが。次の日に息子ブルーノを連れて意気揚々とフロリダ街で仕事に勤しむアントニオに不幸が襲ったのはそれからわずかであった。なんと命よりも大事かもしれない自転車が彼の目の前で盗まれてしまったのである。直ぐに必死で犯人を追ったが見失ってしまい、途方に暮れ警察にかけ込むが余り相手にされなかった。結局、自分で探さざろうえなくなり、ブルーノを連れ、友人を頼り彼らと一緒に捜索することにする。友人の提案によりビットリオ市場などを隈無く探していたところ、犯人らしき男と老人が話しているのをアントニオが見つける。彼は息子と共に教会にその老人を追い詰めるがすんでの所で逃げられる。傷心のまま、なけなしの金でレストランにて食事をする二人。その帰りに彼らは妻の通う占い師を訪ねるが抽象的な答えしか出ずに期待はずれに終わった。だがその直後に再び犯人らしき男とすれ違い、その男の自宅まで追い詰め、周りの住民とも一悶着起こしながらも警察の取り調べの結果、証拠が不十分のため自転車は彼らの手元に戻っては来なかった。その時、息子ブルーノと街角を歩く父アントニオの目にはたくさんの自転車が視界に入った...。失業者が多く、貧困な生活が当時の社会状況を如実に表している。だが、その中にもイタリア人の人間としての光明を見いだすことが出来る。それは最後の場面でランベルト.マジョラーニ演じるアントニオとエンツォ.ステイオラ扮するブルーノの親子に対する紳士の姿に顕著に出ている。貧困というのも人々の心をねじ曲げるのだが別の意味で金に頼り過ぎるのも心がささくれ立ってくる。それでもこの映画に出てくるイタリアの町の人間のように明るく、親、友人それと他人に対する思いやりを忘れてはいけないということを再確認させられた映画であった。
@タバタクの採点 3.43/5
ケビン.スペイシー、フランク.ウェイリー、ミシェル.フォーブス、ベニチオ.デル.トロ、T.E.ラッセル、ロイ.ドットリス、マシュー.フリント、パトリック.フィッシュラー、ジュリー.レヴィン、ケビン.スペイシー(P)、ジョージ.ホアン(W,D)/1995/93′/97.5.17
フィルム.スクールを卒業し、大いなる夢を持って映画の世界に飛び込んだデレク.ガイ。しかし、映画業界は彼の考えているよりもっと厳しく汚れた世界であった。先ず第一歩としてガイはキーストーン映画社の売れっ子プロデューサーで副社長のバディ.アッカーマンのアシスタントになる。その出社初日にガイは運命的な出会いをするその相手の女性は実はドーン.ロッカードという売り出し中のプロデューサーであった。ガイは初日から「自分の利益を守り、要求を満たせ」というバディにゴミのように召使いの如く使われ、面食らう。そこに「リアル.ライフ」という青春映画の脚本を売り込みに来たのがドーンであった。彼女は酷い仕打ちを受けているガイを励ますために飲みに連れ出し、その夜、男と女の関係を結んでしまう。その関係でガイはバディに熱心にドーンの映画を採用することを提案する。最初は乗り気でなかったバディも次第に採用に前向きになる。この事をネタに彼はガイを昇進させ、仲間としてやろうという。だが、その後もタイム誌に「社会の病根」と呼ばれたバディのガイをこき使う態度は変わらなかった。ガイの唯一の心の拠り所はドーンと一緒にいることであった。けれど、自分勝手であるバディの要求という名の拷問は私生活を脅かすほどエスカレートする。遂にガイの緊張の糸はある電話をきっかけにぷっつりと切れてしまうが...。バディ演じるケビン.スペイシーはこの映画の主演であり、同時にプロデューサーでもある。過去と現在が同時進行のこのフィルムの題材は彼自身がずっと持ち続けていたものだろう。そして、ジョージ.ホアンというこれが処女作である監督を使ったのは彼の意図していたものだと思う。だが、この映画の表現が現在の映画世界を肯定しているのかそれとも否定しているのかは定かではない。しかし、バディがフランク.ウェイリー扮するガイに対するシーンで真の望みを聞き、それに応えられないと見ると畳み掛けるように若い世代の我慢のなさを中傷するセリフがこの世界の非情な掟というものを旨く表していた。また、ガイが憎しみの余りバディのコーヒーに唾を入れるシーンは現代の日本OLを彷彿させる。それとこれは余談だがドーン役のミシェル.フォーブスは小野みゆきという女優に似ている。時間が丁度良かったのかそれとも最後のシーンの緊張感のためか、それなりに楽しめた佳作と言える。
@タバタクの採点 3.74/5
アル.パチーノ、ジョン.キューザック、ブリジット.フォンダ、ダニー.アイエロ、ディヴィッド.ペイマー、トニー.フランシオザ、リンゼイ.ダンカン、ハロルド.ベッカー(D)/1996/112′/97.5.18
「NY-破滅も成功もツキ次第」-そう考えていたケヴィン.カルフーンはNY市長.ジョン.パパスの補佐官になって3年であった。そこにある射殺事件が起こった。その事件で3人が犠牲になる。一人はマフィアのボスの甥でヤクの密売人ティノ、それを逮捕しようとした有能な黒人刑事エディ、それと父と一緒にいて流れ弾に中って死んだ6歳の黒人の男の子ジェームズであった。民間人が巻き添えを喰ったということでマスコミを含めた事態の収集に市長以下ケヴィン達は躍起になっていた。そして事実を辿る内にティノがまだ保護監察期間中でそれを決定した監察記録と裁いたスターン判事に疑惑が持ち上がった。その一方、民間人には手を尽くした市長やケヴィン達だったが殉職した刑事エディの件は蔑ろになったいた。それにかみついたのが殉職警官財団マリベスという気の強い女であった。彼女はケヴィンを利用し、なんとか被害者の妻への償いを訴える。彼女の意も汲み、事件の真相に近づこうとするケヴィンをあざ笑うかのように死んだエディは罪に陥れられ、事情を知る人間達が次々と殺されていく。そして、やがてブルックリンのボス.アンセルモやスターン判事を追い詰めるケヴィンの前にジョン市長の政治的な信義に於いて彼らを考えてくれという指示が出る。自分の保身と出世ばかり考える灰色の市長に対してケヴィンは最後の勝負に出る...。ジョン.キューザック演じるケヴィンの溌剌とした演技がアル.パチーノ扮するジョン市長の老獪な演技を上回っていた。また、ブリジット.フォンダ演じるマリベスのケヴィンとの絡みが場面展開のスパイスとして効いていた。全体にスピーディーな展開と政治の裏の泥臭さがスマートに描かれていた印象である。最初に東京都知事歓迎会が出てくるが日本との比較で考えると良い意味でも悪い意味でもアメリカは首長を支える補佐官が機能しているように思う。NYにしても東京にしてもGNPで言えば大きな国くらいのレベルにあるのだからその主は心して掛かって欲しい。
@タバタクの採点 3.89/5
ニック.ノルティ、メラニー.グリフィス、チャズ.パルミンテリ、マイケル.マドセン、クリス.ペン、トリート.ウィリアムズ、ジェニファー.コネリー、ダニエル.ボールドウィン、アンドリュー.マッカシー、ジョン.マルコヴィッチ、リー.タマホリ(D)/1996/108′/97.5.18
LA市警殺人課特別班を率いるトレードマークのシルクハットを被った敏腕刑事マックス.フーバー警部補。彼が決まって犯罪者に吐くセリフは「マルホランド(縁切り)の滝を覚えておけ」というものであった。そんな非情なマックスにも最愛の妻ケイがいた。だが、その妻を裏切るような殺人事件が起きてしまった。ある広大な土地で女が不自然な形でうつ伏せになって殺されていた。その女の顔を見た途端マックスの顔色が変わってしまう。その女はマックスが妻に隠れて不倫をしていたアリソンという女性だった。しかし、彼女はもう一人の男と付き合っていた。その男は原爆を開発する原子力委員会の責任者で軍の司令官トーマス.ティムズ将軍であった。そしてこの事を証明するフィルムが残されており、マックスとトーマスはそこに鮮明に登場していた。例のフィルムがマックスの家に妻宛に送られる。その証拠品を巡り、マックスは軍に侵入し、トーマスに会うことに成功する。だがその一方でFBIの家宅捜査に不審を抱いた妻ケイにフィルムを見られ、自分の不倫がばれてしまう。FBIと軍の圧力を受けながらも事件の真相を解明するために再び軍に侵入し、トーマス将軍に近づくマックス。その前に現れる癌病棟の人々と末期癌に侵されたトーマス。その直後の同僚の死。果たしてアリソンの死の裏には重大な国家機密が隠されているというのだろうか。彼女の死の真相を解明することはケイがマックスの元から去ることを意味しているのか...。ジェニファー.コネリー演じるアリソンのフィルムに於ける巨乳シーンが最後まで残像として印象深かった。全体の構成は30年くらい前の映画の雰囲気を持っている。その一因として、ディヴ.グルーシンが音楽を担当していたことも関係しているのだろう。それと警察らしからぬどちらかというとマフィアの様なシルクハットの出で立ちが通常の刑事物より少し格調高い映画にしたように思う。しかし、「狼たちの街」などという邦題は全く相応しくない。最近、痛感するのだが今後洋画に関しては絶対に原題に統一すべきである。
@タバタクの採点 2.95/5
ジェニファー.ジョーンズ、モンゴメリー.クリフト、ヴィットリオ.デ.シカ(P,D)/72′/1953/97.5.25
原題を直訳すると「あるアメリカ夫人の不倫」とでもなるのだろう。567の映画では原題に統一すべきであると発言したが「終着駅」という本当に映画の内容を捉え、日本語本来の含みを持たせた邦題であれば付ける価値があると思う。物語はアメリカ人の人妻マリア(メアリー).フォーブスがローマのスペイン階段でアメリカ人を母に持つジョバンニ.ドリアと恋に落ちるところから始まる。しかし、不倫であるという事に罪悪感を抱いたマリアはジョバンニの元を去ろうとする。強い決意の中で汽車に乗り、巴里から亜米利加へ飛び立とうとしていた。亜米利加には夫ハワードと娘キャシーが待っている。荷物も甥のポールに頼み、キャシーへのおみやげも買って準備は万端だった。しかし不意にそこにマリアがさよならも告げずに残したジョバンニがやってくる。彼は海の近くの家でキャシーを連れてきて、一緒に暮らそうと彼女に思いの丈を打ち明ける。だが、ポールと再び会ったマリアがその気持ちを振り切るかのように去ろうとするとジョバンニは彼女を殴り、そして失意のままその場所を去る。彼とのことを自分に言い聞かせるようにマリアも待合室に向かう。そこで産気づく女とその家族との出会い。その子供達にキャシーの影を見るマリア。その後、ホームで汽車を待つマリアの元に危険を省みないで近づくジョバンニ。その気持ちに再び彼との恋に落ちるマリア。そんな二人に何故か警察の取り調べが待っていようとは...。不倫という不安定な恋に切なく動く心の機微がジェニファー.ジョーンズ演じるマリアを通して短い映画の中に見事に描かれていた。最近の暇だというだけでテレクラなど安易な手段を使い、援助交際なるものに走る日本の人妻もコギャルもこんなかったるい気持ちは全く理解出来ないだろう。否、もし借りに分かっていると言ったところで行動が伴っていないのであればそれは理解していることにはならない。本当はそれが人間としての基本的な道徳心であり、理屈抜きの感情なのである。だから人間は完全に堕落せずにやっていけるのだと思う。そして同じ事はその女達を性の対象としか考えない男達にも言えるのである。何れにしても道徳心を無くした人間達の末路は寂しいことだろう。
@タバタクの採点 3.5/5
スーザン.サランドン、サム.シェパード、ロバート.ショーン.レナード、マルシア.ガイ.ハーデン、ショーン.アスティン、マット.キースラー、ニック.スタール、フィリップ.アーサー.ロス、スティーヴン.ロバート.ロス、ジェイソン.ロンドン、ロバート.アラン.アッカーマン(D)/1994/98′/97.5.25
七児の母マギー.シンガーの「子供の色が消える」という予知夢は現実のものとなってしまった。だがその頃、彼女は夫パトリックとの仲が悪く、末っ子のサイモンと共に事務所で寝泊まりしていた。同時期にパトリックは原因不明の不連続な失明に悩まされていた。そこに自分から海兵隊を志願し、PKFのためにシナイ半島に行っているパーシバルがもしかすると爆弾事故に巻き込まれたかもと最悪のニュースがテレビで報じられる。皮肉なことにこの悪夢によって家族は集結することになる。アルフレッド、イジー、ギデオン、ダレン、マール、サイモン、パーシバルを除く息子達がパトリックとマギーの元に集まる。それでも夫婦の気持ちは平行線であった。夫婦と息子の危機の最中にマギーは新しい人生を求めて、福祉員になるために公務員試験を受ける。それはある意味で自分の存在意義を認めてくれない夫への当てつけでもあった。マスコミのシナイ半島報道は次第に激化し、シンガー家族にもその手が及ぶ。家族一同が不安の気持ちの中ですれ違う父と母。悪化する父パトリックの病状。しかし、少しの光明が見え始める。マギーはアルフレッドの恋人シンシアや息子達との心の触れ合いの中で段々自分を取り戻して行く。一方、パトリックの病気もイジーの父を愛する観察から原因究明を果たす。マギーとパトリックを中心に家族の気持ちが一つに固まり始めた時、一本の電話が鳴る...。スーザン.サランドン演じるマギーは典型的なアメリカの妻だと思う。彼女が息子全員を育て上げた時に目標が自分の前から消えてしまったのだ。そのやるせない気持ちをサム.シェパード扮するパトリックの所為にしていただけなのだと思う。それを息子の重大事件をきっかけに暫く離れていた家族との触れ合いの中から再び本来の自分を見いだすことに成功する。最初は本当に嫌な妻、女だったマギーの正気を取り戻す心の変化がうまく表現されていた。彼女の人生のキャンバスを音楽で表したものは何度も劇中に登場したムソルグスキー「展覧会の絵」だったのかもしれない。(これは余談だがこの曲にはα波がふんだんに含まれており、頭脳に良いと言われている。)
@タバタクの採点 3.56/5
松田優作、宮川一朗太、伊丹十三、由紀さおり、辻田順一、松金よね子、岡本かおり、戸川純、伊藤克信、清水健太郎、阿木燿子、森田芳光(W,D)/1982/106′/97.6.6
沼田家の次男.茂之は高校受験を間近に控えていた。だが、勉強は一向に捗らず、親が選んだ家庭教師はそんな彼を諦めて何人も去っていった。そんなところに二流私大の城南大に通う吉本勝が新しい家庭教師としてやってきた。大事な時期にも関わらず、母.千賀子に嘘をつき、仮病で学校も休もうとする体たらくな茂之。そんな彼に吉本は容赦なく彼流の教育を施そうとする。この裏には父.孝助との車での闇取引があったのだが...。その頃の茂之は成績がクラスで後ろから9番そして、問題児として担任にも疎んじられていた。その上、親友によるいじめの対象にもなっていた。親の期待の重圧からの解放のために人の事をおちょくり、楽しむ茂之を吉本は暴力をも使って自分に従わせようとする。そんな吉本に母は少し心配、その事を父に告げるのだが妻に全てを押し付け責任を回避している彼は自分の希望校に息子が受かることしか眼中になかった。その頃、一足先に高校受験に成功した兄.慎一は高校の勉強に興味を無くし、弟を横目で見ながら自分の人生を模索している最中であった。そして吉本の指導を受け、茂之の成績はどんどん上がって行く。親友とも仲直りし、茂之は受験に邁進していた。しかし、彼はなぜか志望校変更を頑なに拒んだ。それを見かねた千賀子が吉本に頼んで茂之を説き伏せ、渋々彼は変更を了承し、兄と同じ西部高校を目指すことになるのだが...。この映画は当時松田優作演じる吉本を中心に沼田家族が一直線に横に並んでする食事シーンが話題になった。今、見ても新しい撮り方のような気がする。そこでは同列の横に並ぶのとは別に無言の内に家族に於ける序列がある。父、母、兄、弟、それとお客様。しかし、淡々と食事をする家族はお互いに問題を抱えているのだがお互いの希望に応えようとして本音を言うことを躊躇っている。伊丹十三演じる当時の典型的な父.孝助は仕事から遅く帰ってきては息子の勉強の事しか語ろうとしない。由紀さおり扮する母.千賀子がそれ以外の話題を取り上げるとめんどくさそうに君に任せていることだからと言って逃げてしまう。又、兄弟の対比として宮川一朗太演じる弟.茂之は自分の事なのにひと事のように受験を感じているが取り合えず父の前ではその振る舞いを控えている。優等生と見られていた兄は青春の岐路に立っていて母にはある程度本音を話していたが弟と同じく父の前ではそれらしく振る舞っていたが最後にはそれも爆発してしまう。今でもこれに近いかもしれないが1980年代はこの家族がごく一般的なものであった。この家族に割り込むのが家庭教師.吉本だったが松田優作演じたこのキャラクターはアクションスターから脱皮しようとしていた彼の新しい一面を森田監督と共に切り開いたと思う。時々茂之を見る目線の中には優作特有の狂気に満ちた感情が含まれていたが。優作は当時語っていたが彼にしても森田にしてもこのフィルムを突破口に新しい邦画を作れる最大のチャンスだったがお金を出してくれる人々がいなかったのがつくづく残念に思われる。それが実現されていれば日本映画の現状は変わっていたかもしれない。
@タバタクの採点 3.74/5
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