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21. それから SOREKARA
【出演者】松田優作、藤谷美和子、小林薫、美保純、森尾由美、イッセー尾形、羽賀健二、川上麻衣子、遠藤京子、泉じゅん、一の宮あつ子、笠智衆、加藤和夫、小林勝彦、佐原健二、水島弘、高野真二、小林トシ江、監物房子、有栖川淑子、中原あさ子、佐藤恒治、小森勇人、竹本和正、加茂真人、高林幸兵、伊藤洋三郎、草笛光子、風間杜夫(友情出演)、中村嘉葎雄【プロデューサー】黒澤満、藤峰貞利【企画】サンダンス・カンパニー【監督】森田芳光【脚本】筒井ともみ、夏目漱石(原作)【音楽】梅林茂(EX)【製作会社】東映【製作年】1985【上映時間】130′【封切日】1985.11.9
【あらすじ&感想】
-「誠は天の道なり。人の道にあらず」-
実業家の息子で自ら自由人を謳歌している長井代助(松田優作)。だが、彼の脳天気ぶりとは裏腹にその頃の巷は大変な不景気であった。その煽りを受けて帝大時代の同級生.平岡常次郎(小林薫)が大阪でやっていた仕事をなくすことになる。
彼は再就職を同級のよしみで代助の所にも頼みに来る。この平岡の妻というのが彼らの帝大時代の親友で今は亡き同級生.菅沼(風間杜夫)の妹.三千代(藤谷美和子)であった。取り合えず、代助は引っ越しをしようとする平岡のために家を探してやった。
しかし、世話になった平岡自身は仕事もせずに遊び呆けている代助を内心は軽蔑していた。その自由人を気取ってはいた代助であったが父.得(笠智衆)は30歳になる放蕩息子に結婚を望み、その見合いの相手として同じ実業家の佐川家の娘(美保純)を既に選んでいた。
その最中に三千代は代助に借金を頼みに来る。借金の理由は子供が突然死んで傷心状態の彼女を心臓病が襲って、その手術代のために500円を工面しなければならないとの事であった。
そのために上流階級のパーティで兄.誠吾(中村嘉葎雄)に会った代助はその夜、就職と借金の件を頼むがけんもほろろに断られてしまう。兄も日糖事件という政界絡みの賄賂疑獄が起き、かなり打撃を受けているようであった。
困っていた代助はその後、姉から200円を工面し、三千代に手渡す。その借金の事を理由に度々、代助は三千代を訪ねる。その理由はどうも借金だけではなかったのだが。
一方、実家では父が代助に独立するための条件として佐川家との縁談を執拗に勧める。三千代に対する想いと父の思惑との板挟みの中で段々追い込まれて行く自由人.代助。
そして遂に姉に好いた女が存在することを告白してしまう。苦悩の中、男のけじめとして友人.平岡の妻でもある三千代に代助は求婚することを決意するが...。
-「花一輪、ふたつの鉢には盛れません」-
この映画の原作は夏目漱石の小説「それから」である。昨今は脚本の題材として現代的なものを取り上げる傾向が強いがこれは興業収入が上がらなければ映画として評価されないという理由で現代人に迎合することになっているのではないか。悪く言えば、媚びを売らなければ映画が出来ないということか。
現代人が考えることをせずに自分と異なる世界を認めようとしない文化に合わせているだけである。そして三千代を演じていた元祖プッツン女優の藤谷美和子を見ていて思ったのだが彼女は今まで特に演技がうまいとかへただとか考えたことがなかったが映画の中の彼女の演技の中に現在と少し違う傾向の近代世界を「演じる」という事に女優としての喜びを感じていた節がある。
それが現代劇では演技者の巧拙があるとはいえ、「演じる」範囲が余りにも日常生活と近い部分があり過ぎて、演じたくても演じられないというジレンマがあるのではないか。
昨日、亡くなられた勝新太郎氏が一世を風靡したのはやはり現代とは少し離れた世界の「座頭市シリーズ」であった。大俳優の勝氏と藤谷を比べること自体ナンセンスな事かもしれないがどんな俳優に対しても演じられる範囲を狭めることは日本映画文化の衰退をどんどん押し進め、価値のない映画の量産に繋がると思う。
また、松田優作という俳優も現代劇の中で下らない脚本に埋もれさせるよりも近代のしっかりした小説を土台にした脚本の中で演じさせる方が俳優として本当にいい表情と表現を体現する。だが、彼はもうこの世にはいない。勝氏と優作には天国において最高の映画で共演することを切望する。
-冥福を祈ります-